中日ドラゴンズ監督時代の落合博満氏について綴った『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋)で、「2021年度ミズノスポーツライター賞」の最優秀賞を受賞した鈴木忠平氏。同氏によると、当時の中心選手、荒木雅博氏は井端弘和氏に対して“コンプレックス”を持っていたといいます。

 奮闘する今シーズンの立浪新政権下で内野守備走塁コーチを務める荒木氏が、現役時代に抱えていた苦悩とは。落合政権を取材し続けた記者だからこそ知ることのできた秘蔵エピソードを再公開します。(全3回の3回目/最初から読む)

※初出:2021/10/28

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落合退任発表翌日、2011年9月23日ヤクルト対中日戦

 荒木は二塁ベース上から、マウンドの向こうに見えるホームベースを見つめていた。

 いつもは果てしなく感じる本塁への距離が、なぜかすぐそこであるように感じられた。どことなくいつもの自分ではないようだった──。

 2011年9月23日、落合の退任が発表された翌日、首位ヤクルトとそれを追う中日との天王山は、同点のまま八回裏を迎えていた。

 中日はツーアウトから一番の荒木がレフト線へツーベースを放った。リーグ屈指の足を誇るトップバッターがスコアリングポジションに立ったことで、ゲームは一気に張り詰めた。

 ワンヒットでホームを踏むか。阻止するか。両チームの駆け引きが動き出した。

 ヤクルトは外野を極端に前進させた。とりわけセンターの青木宣親は二塁ベースのすぐ後方まで出てきていた。外野手の頭上を越されるリスクを背負っても、次の1点を与えないという意思表示だった。この守備隊形を見れば、どれだけ足に覚えのあるランナーでも、シングルヒットでホームへ還るのは不可能だと感じるだろう。

 ところが塁上からその様子を見ていた荒木には、まるで不安がなかった。成否の境にいるとき、決まって襲ってくる中腹部の痛みも消えていた。自分でも説明がつかないその感覚が生まれたのは前日のことだった。落合がチームを去るとわかった瞬間に、胸の中で静かに爆ぜたものがあった。

荒木雅博氏 ©文藝春秋

 前日、ヤクルトとの首位攻防第1ラウンドが始まる3時間前に、球団は落合の退任を発表した。記者会見を終えた球団代表の佐藤はその足で、選手やスタッフに監督交代についての説明をしようとした。

 だが落合はロッカールームへの立ち入りを拒否した。そして自らは去就について一切触れることなく、何事もなかったように試合前のミーティングを終え、いつものようにプレーボールを迎えた。荒木にはそれが無言のメッセージのように思えた。

 監督が誰であろうと何も変わらない。それぞれの仕事をするだけだ。