菊池寛の「いい加減さ」を書きたい
「作中の新人作家の心境や編集者とのやりとりは、私自身の経験が反映されています。リアルだとしたらそのせいでしょうか。私も覚子と同じく『オール讀物』で新人賞をいただいてデビューしたんですが、同誌は老舗の名門なので、次作を載せてもらい単行本を出してもらえるまでが大変なんですよ。私なんて、デビューしたからって舐めてるんじゃないぞと、早い時期に釘を刺されましたから。
厳しい編集者になんとか食らいついて、私は文春のラウンジに通っていました。なかなか次作の掲載が決まらないでうなだれていると、あるときラウンジに鎮座する菊池寛の銅像と目が合いました。
それで気になって彼のことを調べてみると、ヘンなエピソードがたくさん出てくるんですよ。彼は亡くなる日、自宅でお鮨を食べてダンスを踊っていて、原稿を受け取りに人が来たので部屋にとりに行ったとき狭心症で倒れたのだそう。文豪にして大編集者だというわりに、『そんな最期ってある?』という感じですが、彼がいつだって生きることを楽しんでいたのはよく伝わります。
芥川賞と直木賞は、彼が創設したものとして知られていますね。いま芥川賞は純文学で、直木賞はエンターテインメント文学という色分けがされていて、作家たちは『自分はどっちかな』と悩んだりしています。
でも菊池寛は、芥川龍之介、直木三十五のどちらとも友だちだったから賞をつくっただけで、初期設定を深く考えた形跡はなし。けっこう適当だったみたいです。
新人時代の私に大きく立ちはだかっていた『オール讀物』も、菊池寛による創刊当初は雑多な読み物が載っていて、若手にも開かれた媒体だったそう。
それらのエピソードを知って、私はずいぶん気が楽になりました。菊池寛の、いい意味でのいい加減さを書いてみたくなりました」