ゾウは地上最大の哺乳類で、全国各地の動物園でも人気がある。だが、日本でゾウの研究者は数少ない。そのうちの一人が、『ゾウが教えてくれたこと ゾウオロジーのすすめ』を上梓した入江尚子さんだ。
「大学の文学部では動物心理学を学んでいました。ニホンザルの研究をしている長谷川壽一先生が講義でサルの話をしている様子がすごく楽しそうで、『大人なのにキラキラしている!』と初めて思った人だったんです(笑)」
どの動物を研究しようかと相談していたとき、長谷川氏から「日本にはゾウもいるよ」と言われ、その足で上野動物園に向かった。
「そのとき見たのはウタイちゃんという子でした。大きくて長い鼻をうにゃうにゃと私の方に伸ばしてきてくれて、なんてかわいいんだ、と。2時間くらい見ていたと思います」
さらに、図書館へ行き、先行研究を調べたら、ゾウの認知について書かれた論文は1つしかなかった。
「断片的に書かれている文献を読み漁るうち、まだ知られていない大きな可能性がゾウには秘められているのだと確信し、わくわくしました。そのまま大学院に進み、『ゾウと言えばタイでしょ』という単純な発想で、タイのスリンという村で研究を行いました。ほとんど飛び込みです」
タイ語も「アローイ(おいしい)」くらいしか知らなかった入江さん。だが、毎朝4時半に起きて、市場でバナナを買い込み、ゾウ使いの友人とゾウを探して街中を走り回ったという。
「推定年齢が100歳を超えるおじいさんゾウや、地雷を踏んで肢を失ってしまったゾウなど、数十頭に出逢いましたが、一頭一頭、顔や性格が違うんですね。研究をする際には、それぞれに合った接し方をしないといけません」
ゾウを知り、ゾウから学ぶことを“ゾウオロジー”と入江さんは呼んでいる。1日100キログラムもの植物を食べ、体も4トン以上と大きい。本書ではそんなゾウに関する基本的な知識をはじめ、人間には聞こえない低周波音を使ったコミュニケーション能力や、記憶力、社会性の高さなどが紹介されている。印象的なのは、「ゾウも心の世界を持っているように思う」という箇所だ。
「ゾウは本当に賢い。数を数えられますし、群れは母系家族です。身体は非常に大きく、自然界ではほぼ無敵です。まれに悪条件が重なった時にライオンに襲われることがあるのですが、基本的には自分たちから他者を攻撃することはありません。そこには、私たち人間には想像もつかないような心の世界を感じます。もっとも、密猟、森林伐採などの問題を考えれば、ゾウの最大の敵は人間だと言えるでしょう」
入江さんは、出産を機に研究の第一線からは退いた。現在は子育てのかたわら、大学講師、絵本作家など多方面で活動している。
「研究の対象がゾウから、人間の子どもに移行したとも言えますね(笑)」
もともと動物が大好きで、幼い頃から家で小鳥などを飼ってきた。
「今は家に約50匹のカメがいる専用の部屋があります。動物たちとは、本当に愛し合って、分かり合うことができると感じます。私たちが彼らと共有するのは、『感情』です。一見我々を振り回すやっかいなものにも感じられますが、何億年もの環境変動と淘汰の波を耐え抜いた、オールマイティな能力とも言えます。むしろ、いかに感情を大切にすることができるかに、今後のヒトの命運がかかっているかもしれません」
いりえなおこ/1982年、大阪府生まれ。2001年に東京大学に進学。10年、同大学博士号(学術)取得。現在、駒澤大学および立教大学兼任講師。絵本に『ゾウと ともだちになった きっちゃん』(絵・あべ弘士、福音館書店)。