アカデミー賞で、妻の脱毛症の容姿を揶揄したコメディアン、クリス・ロックに怒りのビンタを浴びせたウィル・スミス。この問題が大きく論じられた背景には、「メディアでの人種の扱われ方」の変化があると、ハーバード大学医学部助教授の内田舞さんは考えます。(全2回の1回目/続きを読む)
2022年アカデミー賞授賞式から1週間以上経ちましたが、未だにウィル・スミスのビンタをめぐって話題が絶えません。様々な思い出を突くトピックだったためか、多くの著名人が強い意見を表明しましたが、当事者からはほど遠い我が家でも「どんな状況であっても暴力はあってはならない」と主張する夫と、「暴力は反対だが、傷つけられたときには笑って耐える必要はなく、怒りを表現してもいいし、容姿や病気のジョークは許容されるべきではない」と主張する私のヒートアップした夫婦喧嘩が繰り広げられ、息子達を心配させてしまいました。
ステージ上でビンタをしたウィル・スミス、髪を伸ばせない脱毛症の容姿を揶揄されたウィル・スミスの妻ジェイダ・スミス、そして容姿をネタに笑いを取ろうとしたクリス・ロック。クリス・ロックとウィル・スミスのどちらが悪いのか、言葉の暴力と身体的な暴力のどちらが問題か、などなど話す人それぞれの価値観を投影して多くの意見が交わされた背景には、近年一段と進化を遂げた「メディアの中での表象」があったのではないかと思うのです。
「メディアを通し、どのような男性像を映し出すべきか」
この数年、アメリカメディアでは「Toxic Masculinity(毒性のある男らしさ)」の呪縛を次世代に引き継がせないためには、メディアを通してどのような男性像を映し出すべきかといった議論が盛んにされています。
例えば、2019年のNFL(ナショナルフットボールリーグ)最高峰のスーパーボウルの中継で、高視聴率を獲得した髭剃りメーカー・GilletteのCMが話題になりました。今まで男性が笑って見過ごしてきたセクシャルハラスメントや暴力のシーンが次々と映し出され、これからの男の子たちが男らしさの呪縛から解放されて育つために大人の男性がどのようなロールモデルになるべきかといったことを示唆する、未来に向けて希望を感じる感動的なCMでした。
また、ジェイダの髪型についても、病気の有無に関係なく、髪、皮膚、体形というのは人それぞれで、画一的な美しさが提示されるべきではないという文脈で語られることも多く、実際に“Beauty comes in all shapes and colors.(美はあらゆる体形と肌の色に宿る)”というフレーズをよく耳にします。洋服店には様々な体系のマネキンが並び、ウィニー・ハーロウ(Winnie Harllow)という白斑のあるアフリカ系アメリカ人モデルがVogueなどのトップファッション誌モデルを務めたり、車椅子に乗ったバービー人形も発売されるなど、多様な美を目にするようになりました。
このように男性らしさの表象、多様な美しさの表象が日々議論される時代だからこそ、今回の件はこれだけの反響があったのかもしれません。