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アメリカメディアで見るアジア人男性の表象

 漫画や映画、さらにニュースやスポーツの中継さえも、メディアに表れる表象は社会と直接、深く繋がっています。社会の中の思想や常識が結晶化されてメディアにおける表象を生み出し、そこで目にするイメージが視聴者や読者の考えやイメージ形成にも無意識に影響を及ぼすものです。ジェンダーロールや美しさの定義などはまさにそのひとつですが、アメリカでは人種の表象についても考えさせられることが多々あります。

 例えば、アジア人男性の描かれ方。ハリウッド映画では長らく、日本人だけでなくアジア人男性は馬鹿にされる役柄として描かれがちでした。

 もちろんブルース・リーがカンフーのポーズで登場するような、極端なオリエンタリズム的な眼差しを感じさせる映画もありましたが、オードリー・ヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を』に登場するミスター・ユニヨシという日本人役の描かれ方もまた典型的です。

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 演じているのは白人の役者ですが、顔は黄色く塗られ、目は細く吊りあげられ、鉢巻に眼鏡、出っ歯の付け歯、しょっちゅう物にぶつかっては笑われたり、ただ馬鹿にされるためだけに描かれたキャラクターです。オードリーが演じる女性ホリーがアパートの鍵を無くしては夜中にミスター・ユニヨシのドアベルを鳴らし、アパートビルの中に入れてもらう。そのたびに「夜中起こされるのは困る」と怒るミスター・ユニヨシは、「こんど私の写真撮らせてあげるから」とホリーに宥められると、期待と興奮の笑みを浮かべるが、実際撮らせてもらえることはない。そんな恵まれないミスター・ユニヨシの映画シーンを見て、アメリカ人の多くは大笑いしました。

 同じように80年代前半生まれの私世代が90年代に見たティーン映画『Sixteen Candles』の中では、留学生のアジア人男性は女の子からは相手にされない、箸にも棒にもかからないお笑い役として描かれていました。またこのキャラクターの名前が、英語のスラングで「長い性器」という意味をもじったものだったりして、アジア人の性器が小さいというステレオタイプを笑っているわけです。

 このように「敬意に値しない」「脅威ではない」「性的に劣っている」が長らく、アメリカ社会におけるアジア人男性の描かれ方として定着していました。そしてこうしたメディアにおける表象は、メディアの中だけの(悪い)ジョークにとどまらず、実社会でのアジア人男性の扱われ方にも悪影響を及ぼしました。

内田舞さん

“理想的な非白人”とは誰にとって理想的?

 19世紀後半から増えていった東アジア系アメリカ人ですが、労働力として雇われた際、文句を言わずに低賃金でいい仕事をするという評判で、Model Minority(理想的なマイノリティ)と呼ばれました。

 また、第二次世界大戦の日系アメリカ人強制収容施設の歴史です。家や土地などを収用され、医療や暖房が行き届かない強制収容施設での生活を「我慢」を合言葉に生き延びた――その忍耐強さの象徴として、日系人は「なんて理想的な人種なんだ」と語られることがあるのです。アジア人に低賃金で重労働させ、不当な理由で強制収容を強いた側の人達が、「文句を言わないでやっているから理想的だ」と賞賛するモデルマイノリティという言葉は、私は違和感を抱かずにはいられません。そもそもそこで語られる「理想的」とは、いったい誰にとって理想的なのだろうと考えさせられてしまいます。