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 雉真家の食卓で勇(村上虹郎)が徴兵について語る背後で流れるのは「露営の歌」(37年/昭和12年)。日中戦争が勃発したときに作られた軍歌で、劇中では5番の「東洋平和のためならば なんで命が惜しかろう」というフレーズが使用された。作曲者は古関裕而。歌の途中で初めての日本本土空襲である八幡空襲についての臨時ニュースが入る。

 勤労動員の女生徒たちが行進しながら歌っていたのは「歩くうた」(40年/昭和15年)。戦時歌謡を数多く流していたNHKのラジオ番組「国民歌謡」が高村光太郎に作詞を依頼したもの(いずれも第16回)。

 45年の年末に勇が復員したとき、街で流れていたのは並木路子・霧島昇「リンゴの唄」(46年/昭和21年)。終戦の開放的な気分と明朗な曲調がマッチして空前の大ヒットとなった。45年10月に公開された戦後映画の第1号『そよかぜ』の主題歌だったので、45年の年末に街で流れていてもおかしくはない。劇中ではハーモニカ演奏に読経が被せられ、明朗さだけではない物哀しさや儚さも演出されていた(第20回)。

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©AFLO

“音楽も耳に入ってこない生活”から、進駐軍のクラブ、そして…

 稔の戦死後、大阪で安子とるいが二人で生活するシーンには「カムカム英語」のテーマソングぐらいしか音楽は流れてこない。厳しい生活を送っていた安子には、音楽も耳に入ってこなかったのだろう。

 岡山に戻ってからも、偶然立ち寄った「ディッパーマウス・ブルース」で流れていたジャズぐらいしか安子が音楽を聴くことはなかった。彼女の心に染み入る音楽は、ロバート・ローズウッド(村雨辰剛)に連れられた進駐軍のクラブでの「きよしこの夜」と柳沢定一(世良公則)が歌った「On The Sunny Side Of The Street」ぐらいだったろう(第30回)。

 劇中でよく歌謡曲が流れるようになったのは、成長したるいが岡山の家を出て、大阪の竹村クリーニング店に住み込みで働くようになってからだ。