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〈いつも背景にはラジオが…〉『カムカムエヴリバディ』登場楽曲から見えてくる “リアリティ”とは?

『カムカム』100年の物語“もう一つの主役”#1

2022/04/10
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 るいが大阪で暮らし始めたのは62年の春のこと。この頃になると、クリーニング店などの店頭で、仕事をしながらラジオを聴くというライフスタイルが定着しつつあった。

 娯楽としてのラジオが全盛期を迎えたのはNHKのラジオ受信契約数が1481万件(世帯普及率82.5%)に達した58年だったが、53年に放送が始まったテレビの普及によって娯楽の王座を追われる。

 その代わり、55年に発売されたコンパクトなトランジスタラジオの普及拡大によって、居間だけではなく個室や屋外で「何かをしながら」聴くことが可能になった(NHK放送文化研究所「テレビが登場した時代のラジオ~その議論と戦略をめぐって~」)。

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るいが初めてやってきた竹村クリーニング店の店頭で流れていたのは…

 るいが初めてやってきた竹村クリーニング店の店頭で流れていたのは、ザ・ピーナッツ「ふりむかないで」(62年/昭和37年)。岩谷時子作詞、宮川泰作曲による和製ポップスの最初期のヒット曲である。和子(濱田マリ)がるいを見てデートに行くと勘違いするが、「ふりむかないで」はデートに出かける女の子の気持ちを歌った曲。タイトルが新しい生活を始めようとするるいを励ましているようでもある(第39回)。

©getty

 その他、ハナ肇とクレージーキャッツ「スーダラ節」(61年/昭和36年)、スリー・キャッツ「黄色いさくらんぼ」(59年/昭和34年)(いずれも第40回)、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」(61年/昭和36年)(第41回)などの当時を代表する大ヒット曲が店頭で流れていた。

出会いと別れと「ハイそれまでョ」

 るいと片桐春彦(風間俊介)の別れのシーンでラジオから流れていたのは、ミスマッチなほど能天気なハナ肇とクレージーキャッツの「無責任一代男」(62年/昭和37年)。片桐のことを振り切り、錠一郎(オダギリジョー)との新たな出会いに胸をときめかせていたるいの心情が表れていたのかもしれない(第44回)。同グループの「ハイそれまでョ」(62年/昭和37年)も流れた(第51回)。

 竹村家を訪れた錠一郎が気がかりな平助(村田雄浩)の背後でラジオから流れているのは、アイ・ジョージ「硝子のジョニー」(61年/昭和36年)。朗々とした声量で歌い上げられるムーディーな曲。アイ・ジョージは錠一郎と同じく戦災孤児だった(第48回)。