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 じつは、彼は50代の終わりに借金を完済すると、60歳になったら「さだまさし」をやめようと思っていたという。しかし、そこへ東日本大震災が起き、人生に対する考え方が変わった。本人いわく《被災地を見て、これがなぜ僕の身に起きなかったのか、いつ起きてもおかしくないのに、自分の人生を自分で制御するのは傲慢だと。未来を見続け、生かしていただいている道を走るしかなかろう。そう決めてから、音楽上の終活は一切考えません》(※5)。

「防人の詩」(1980年)

 考えてみると、グレープ結成時にじゃんけんに負けてボーカルになったことといい、借金を抱えたことといい、自分の思うようにならない経験が、一貫してさだを突き動かしてきたともいえる。

盟友・泉谷しげるの「言葉」

 逆境を乗り越えようとするさだの姿を見て、アンチから支持に回った人も少なくない。デビュー年では2年先輩のシンガーソングライター・泉谷しげるもその一人だ。最初は「さだまさしとは友達にならねぇだろうな」と思っていた泉谷だが、その後、借金を返すためライブをやりまくっていると知ってすごいと思ったという。ここ30年ほどは災害被災地を支援するコンサートで一緒になる機会も多い。

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 その泉谷は近年、かつて批判された「防人の詩」について、《右翼だなんだって叩かれたけど、あれはそういう歌じゃない。たいそうな歌詞だから誤解されるんだろうけど、実に個人的なため息だな。「個人的なため息」だから、皆でシングアウトできない。皆で合唱したら、右翼的なナショナリズムに繋がっていくけど、あんなため息、歌えないだろ?》、《人を揺さぶるものは、それが何であれ、「個人的なため息」なんだよ。さだはそれをずっとやってンだよ》と評していた(※6)。さだまさしの作品について、これほど正鵠を射た評を知らない。

※1 『朝日新聞』2018年12月3日付朝刊
※2 『週刊文春』1993年7月22日号
※3 『週刊文春』2010年6月10日号
※4 『AERA』1999年10月4日号
※5 『朝日新聞』2018年12月7日付朝刊
※6 さだまさしとゆかいな仲間たち『うらさだ』(小学館、2018年)