「私を取材してもらえませんか」と必死で新聞社に手紙を…
――大谷翔平選手ならともかく、一般人がそれだけのメディアに取り上げられることはまずありません。
山口 だから「私を取材してもらえませんか」と必死でいろんな新聞社に手紙を書いて送りました。片っ端からお願いしていたら読売新聞の記者の人にたどりついて紹介してもらえたり、たまたま同じ高校出身のメディア関係者がフックアップしてくれたおかげでYahoo!に記事が載ったり……。奇跡のタッチダウンがたくさんあって、なんとかビザ取得のための媒体数をクリアできました。
――メディア露出の部分で、「39歳でNFLチア」という年齢の部分がプラスに作用したと思いますか。
山口 年齢のことをアピールしなければ絶対に記事化されなかったと思います。NFLを目指したのがそもそも35歳だったので、私としてはとっくに割り切ってやっていたんですけど、メディアとしてはアイキャッチになりますからね。
入団できる保証もないのにベンガルズの拠点・シンシナティに移住
――仕事を辞めて背水の陣で臨んだ4回目の挑戦に敗れた後、入団できる保証は一切ないのに、ベンガルズの拠点・シンシナティに移住されたんですよね。
山口 2017年5月にベンガルズの最終選考に落ちて帰国して、その3ヶ月後にはシンシナティで新生活をはじめていました。我ながらブルドーザーのようなことをやってのけました(笑)。
「ベンガルズのチアになる」という目的しか見てなくて、周りのことなんて何も気にしていませんでした。というか、入るにはそうするしかなかったんです(笑)。
――すべてを投げうって移住してきた山口さんの本気度は、チーム側にも伝わったのでは。
山口 シンシナティに引っ越してからはホームゲームには必ず足を運び、客席からチアのディレクターに手を振ってアピールしました(笑)。「本当に来たんだ!」という感じで、喜んでもらえたと思います。それでも審査基準をクリアしないと絶対に入れてもらえないので、本当に厳しい戦いでした。