子どもに風邪をひかせないのは母親の役目なのか
――「息子」は夫婦の話ですよね。比較的短い短篇です。
藤野 これはもうちょっと長めのはずだったんですよ。他の短篇と比べても「息子」だけ極端に短いのは、本当はプロットをぼんやりと考えている時もう少し先があったからなんです。でも書いてみたら、この小説はここで終わりなんだなと思って。
これは夫婦の話なのかな。子どもを持った時に、母親になってしまったら最後、魂の自由が奪われるというか。お母さんはそういうものは持ってはいけない、という風潮があると思うんですよね。逆にお父さんはそうでもないと思うんですよ。お父さんは息子と同化して子どものような心を持っていてもOKで、夕飯を食べさせなきゃとか、風邪をひかせないようにする、というのはお母さんの責任だと見なされがちな気がします。でもお母さんにだって自由にしたい気持ちはある。それは前々から気になっていたので、少し意識して書きました。母親だからといってすべてを子どもに尽くさないといけない、というのはどうかと思うし。そういう風潮に対する恐れみたいなものを感じながら書いていました。
――ご自身の実際の関心事としてもあったわけですね。
藤野 そうです。たぶんこのころもまだ子どもを持つかどうかが関心事のひとつだったんだと思います。最近はすっかり忘れていたのに、今話しているうちに思い出してきました(笑)。
――出産する女性の年齢もどんどん上がっているから、なかなかその悩みから解放されませんよね……。さて、「私はさみしかった」は「早稲田文学」の女性号に掲載された作品ですね。
藤野 ご依頼といっしょに川上未映子さんから雑誌の趣旨を説明するお手紙をいただいたんですが、そのお手紙にはもう本当に感動しました。それで、女性号ってことだから、このところの自分のブームである女性性というものを素材に使うことを、存分にできるというか、むしろそうするべきだと考えて書きました。
換気扇から聞こえる音に気付く人と気付かない人
――痴漢が出てきますよね。私も実際ここに出てくるように、電車の車内が空いているのに隣に座ってくるおじさんがいて気持ち悪いなと思ったのを憶えています、小さい頃。
藤野 私も、京阪に乗ってて寝てて、はっと起きたら隣におじいさんが座っていて、ここに書いた通りのことをしていたんです。大学生の時。もうすごくびっくりして。
――はあー? ここに書いてある通り、靴のまま座席に上がって逃げたんですか。
藤野 はい、逃げました。しょうがないから。でも恐怖と驚きでなかなか体が動かなかったのをおぼえています。
――最後に収録されている「静かな夜」は、「たべるのがおそい」に掲載されている時に拝読しました。これはキッチンのレンジフードからかすかな音を聞きとって……という話。これは実際、換気扇から聞こえる音から着想を得たのかと思いました。
藤野 その通りです。本当に、台風の時だったかに夜寝ていたら、物音がして、狭いマンションだけど確実に家の中に誰かがいるって思ったんですよ。夫は寝ているし、ひとりで真っ暗な中、部屋の中を探し回って、やっと換気扇のパネルのところから外の音が入ってきているんだと気付きました。それ以来、そこから音がすると椅子を持って聞きに行ってます。
――作中では、世の中には、その音に気付く人と気付かない人がいるという。
藤野 あまりにも一般常識すぎて誰もあえて言わないようなことってありますよね。でもたまに、私は誰でも知っているようなことを知らないまま大人になったんじゃないかなって、思う時があって。自分は常識ないな、根本的な何かを習得しないまま大人になっちゃったんじゃないかなって。そういうこともちょっと入れてみました。
藤野可織(ふじの・かおり)
1980年、京都市生まれ。同志社大学大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了。2006年「いやしい鳥」で第108回文學界新人賞、2013年に「爪と目」で第149回芥川龍之介賞受賞。著書に『いやしい鳥』『パトロネ』『爪と目』『おはなしして子ちゃん』『ファイナルガール』がある。
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※「作家と90分」藤野可織(後篇)──クズで分別がなくて、魅力的な中年女性を書いてみたい──に続く bunshun.jp/articles/-/5360