小説を書くときは男でも女でもないとずっと思っていたけれど
――最新短篇集『ドレス』(2017年河出書房新社刊)は、可愛らしくてグロテスクな奇想の詰まった1冊です。「文藝」掲載の6篇と、「早稲田文学増刊 女性号」掲載が1篇、文学ムック「たべるのがおそい」掲載の1篇を収録していますね。1冊にまとめるにあたって、選んだ基準などはありましたか。
藤野 「文藝」に載せたものはその都度考えたものです。私には結構、単行本に収録していない短篇がたくさんありまして、その中から編集者が他に掲載した2篇を選んでくださいました。
小説を書き始めた頃からずっと、私は小説を書く時は男でも女でもないと思っていたんですけれど、ちょうど「文藝」で短篇を書き始めた頃に、そうじゃないということに気がつき始めたんです。女性であることも私が持っている数少ない、貴重な素材のひとつだなと。
だから、その「女性」という素材をきちんとほかの素材と同じように大事に使おうと意識して書いたものばかりになったかな、という気はします。
――たとえば表題作の「ドレス」は、鉄製の妙なイアリングをつけ始めた恋人に対して青年がギョッとするところから、意外な方向に話が広がります。彼が恋人を選んだ理由が、好きになったというよりも、ランク的に自分に釣り合う程度の女性だったから、というところがちょっとムカつきますよね(笑)。
藤野 めっちゃムカつきますよね(笑)。やな奴ですよね。でもこういう考え方が自分にないのかって言ったら決してそうではなくて、どこかにあるんですよね……。
何回も挑戦して撃沈してきた恋愛小説を、少し書けたんじゃないかな
――そういう男性に対して、女性側が反旗を翻すような内容かと思ったら、必ずしもそういう展開ではない。
藤野 私は人と人は分かり合えないと思いながら小説を書いています。分かり合えないから決裂するということももちろんありますが、でも実際には、私たちはみんな結局は分かり合えないまま一緒にいるしかないんじゃないかなあと思うんです。そういうことを「ドレス」には書きました。書き終わってから勝手に思ったんですけれど、今まで私が何回も挑戦して撃沈してきた恋愛小説みたいなものを、少し書けたんじゃないかな、って。
――撃沈?
藤野 『ファイナルガール』(14年刊/のち角川文庫)に載っている短篇のほとんどは「en‐taxi」に書いたものなんですけれど、あのころはなんとなく恋愛小説を書いてみようとしてたんです。私は恋愛にずっとあまり関心を持たずにやってきたのですが、だからこそ書いてみたいなあと。それで最初の「去勢」っていう小説を編集者さんに送るとき、メールに「恋愛小説を書いてみました」と書き添えたんですよ。でも返信では、その1行に関してはスルーだったんです。
――あれはある種のストーカーの話ですよね(笑)。
藤野 その後、意地になってすべての短篇を送る時にその1行を添えて送ったのに、全部スルーでした。でも単行本が出た時に、帯の下の方にすっごく小さなフォントで、「恋愛小説集」って書いてあって、「あっ、あの1行、一応読んではったんや」って思って。でもほんとにすごく小さいから、あんまり恋愛小説とちゃうかったんかなあと反省しました。
その後だいぶ時間が経ってから、そのことを翻訳者の都甲幸治さんにお会いした時に相談したんですよ。そうしたら「藤野さん、恋愛小説って言われて『去勢』っていうタイトルで来たら、それはちょっと」みたいなことを言われました(笑)。しかも「藤野さん、恋愛小説というものが分かってない」って、すごく教えてもらって。恋愛小説というのは『嵐が丘』みたいに、どうしてその相手のことがそんなに好きなのか分からないまま、ひたすらその人のことを盲目的に、狂信的に好きでいるところに醍醐味があるんだ、って。「藤野さんの小説、全然違うでしょ」と言われ、そう言われればそうかなと学んだんです。
学んだ結果、この「ドレス」を書いたというわけではないんですけれど、この男の子がランク的に釣り合う相手を選んだなら、彼女の行動がエスカレートしてきた時、明らかに釣り合うと思っていた頃とは変わっているのだから、振ってもいいはずじゃないですか。でも、それでも一緒にいるということは、これはもしかして恋愛の域に入ったんじゃないのかな、と自分では後から思いました。