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「いつまでもこのままの生活をしていられない」

鹿島 住んでいたところは丸ノ内線沿線で、霞ケ関で事件に巻き込まれた路線でもあります。昼前に目を覚ました自分には何も被害がなくて、ちゃんと働いている人たちが通勤時間に被害を受けた……。その2カ月前に起きた阪神・淡路大震災のことも大きかったですが、この年は「いつまでもこのままの生活をしていられない」と思い続ける1年でした。24歳とか25歳のとき。「気づくのが遅いよ!」って本当に思います。

――そして大川興業での芸人修行時代が始まるんですね。

鹿島 大川興業に入るきっかけが実は東スポなんです。大川総裁がコラムを連載してまして、そこに「この国はもう、食いっぱぐれることもないだろうし、どんなに貧乏でも餓死する奴はいないんだ、だから同じ貧乏なら面白いことをやろうじゃないか」というようなことが書かれていたんです。ちょっと感じ入るところがあって、それでオーディションを受けました。

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 ただ、大川興業って寺田体育の日さんや江頭2:50さんみたいな体のでかい人しかいないし、怖そうな体育会系の組織だと思ってたんです。ところがみなさん優しくていい人ばかりで、しかも東スポとプロレスを愛している。それまで隠れキリシタンのように東スポ愛とプロレス愛を抱えていた僕にとっては、夢のような世界でした。所属芸人たちの一体感もしっかりありましたし。

 

――大川興業は芸能事務所ではなくて、「芸人集団」を謳っていますもんね。

鹿島 大川興業って半分劇団のような感じなんです。僕も新人としていきなり芸人デビューしたわけではなくて、公演のお手伝いをするスタッフから始まりました。本公演は1年に1回あって、1カ月前から稽古が始まるのでバイトもできなくなる。お金は大変でしたけど、やっぱり地方公演は旅巡業の楽しさがありました。旅先のホテルで全員の衣装を洗濯し終わってから、先輩に「新人たちも美味いもの食べてきなよ」なんて言われると、旅芸人気分でしたね。すでに売れっ子になっていた江頭さんと同じ弁当食べながらお話しできたのも、巡業のいい思い出になってます。

『エンタの神様』から声がかかった

――そして、コンビ芸人として舞台を踏み始める。

鹿島 グループも含め、何回か相方を変えて最終的に落ち着いたのが「俺のバカ」というコンビです。ここで僕はバカキャラの相方に対して、縄跳びをムチのように床に叩きつけるツッコミというのをやってました。このマッチングをしてくれたのが、松本キックさんです。

 ハウス加賀谷さんと組んだ松本ハウスは『ボキャブラ天国』でブレイクしたコンビ。大川興業が生んだスター芸人でした。キックさんのセンスはカリスマ性がありましたから、他の事務所の芸人も教えを乞うて訪ねてくるほどでした。青木さやかさんとか、ピン芸人時代の松田大輔君(東京ダイナマイト)とか。そんなキックさんが僕たちに目をかけてくれて、ネタを見てもらったりアドバイスをもらっているうちに、爆笑問題さんの事務所タイタンのライブに出演できるようになったり、そしてついには『エンタの神様』から声がかかったんです。

――当時『エンタの神様』から声がかかるのは相当なこと。

鹿島 特に初期は大物しか出ていないので、「何で自分らなんだろう?」と思いました。どうやらライブでやってたイラク戦争のナンセンスなギャグが気に入られたみたいで。ところが番宣CMには何回か僕らが映るんですけど、いつまでたってもオンエアはされない。あのCMは今でも謎です(笑)。

 そんなこともありつつ、周りからは「テレビに向いてる芸風だ」というふうに言われ始め、少しずつ手応えが出てきた。ひょっとするとテレビで行けるかも、テレビに強い事務所から声がかかるように活動の幅を広げたほうがいいかも、とアドバイスをいろんな方からいただいて、筋を通して大川興業を離れることにしたんです。これが2006年末のことで、フリーのコンビ活動が2007年から。

 

――鹿島さん、37歳の年ですね。

鹿島 ところが相方が突然、芸人辞めると言い出すんです。しかも「パイロットになりたい」って。もともとアマチュアレスリングをやっていたやつで、大川興業に入ったあと、浜口ジムに入り直して大会にも出るようになっていた。そんなある日、「鹿島さん、僕には夢が3つあって、それはお笑い芸人になること、プロレスラーになること、そしてパイロットになることなんです。2つは夢が叶いました。あと1つを叶えるためにコンビをやめさせてください」と。

 どう考えても言ってることがバカなんですがその本気度も相当のもので、生粋のバカキャラには敵わないなあと。3日間くらい徹夜で説得しましたが最後は、「まあ、じゃあわかった」ってキツネにつままれた感じでしたね。それで相方はアメリカに行っちゃいました。