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「バイト辞めて生活できるようになったのは40越えてから」51歳の芸人が好きなことを仕事にできた理由

プチ鹿島さんインタビュー #1

2022/04/30
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事務所独立→コンビ解散が転機に

――辞めてフリーになったら、今度はコンビ解散……。

鹿島 もう、一人ぼっちです。周りも、芸人を辞めるんだろうなと思っていたみたいです。でも僕は辞める気がさらさらなくて、何かやっていればいいだろうくらいの気持ちでした。ただピンでの活動を告知するにしても、事務所に所属しているわけでもないので、何らかの発信をしなきゃならないなと。それで友人のTシャツブランド・ハードコアチョコレートのMUNEさんが「ブログぐらい書いてみたら」ってアドバイスしてくれたんです。ありがたいことにウェブデザイナーを紹介してくれて、無料でブログを開設してくれた。

――このブログで新聞ネタも書き始めるようになるんですね。

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鹿島 社説パロディを書いたりですね。社説いじりで言えば、成人の日の《ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。》で始まる、伝説の朝日新聞社説「尾崎豊を知っているか」を取り上げたのもブログでした。もともと新聞を読むのが好きでしたから、時事ネタを書くぞという意気込みがあったというより、自分が面白いと思っていたことを自然に書く感じでした。

 

――書くのは得意だったんですか?

鹿島 文章を書くのは好きでしたけど、それは芸人活動とは別と考えていました。ブログを始めるまで……というか「一人ぼっち」になるまで、僕はゴリゴリの芸人観を持っていて、芸人たるもの、舞台の上で客を笑わせてナンボだという考えに凝り固まっていたんです。ですからブログで何かを発信するとか、そんなことは邪道だくらいに思っていた。でも、必要に迫られて自分の面白いと思っていることを文章にして発信してみると、これで楽しんでくれている人がいるなら、これも芸人としてアリだなと思い直したんです。

コールセンターバイトで月収15万

――とはいえ、かつては『エンタの神様』出演の話もあったほどだった鹿島さんにとって、忸怩たるものというか、脚光を浴びたいという焦りみたいなものはなかったんですか?

鹿島 これがいつまで続くのかなっていう漠然とした不安はもちろんありました。だけど、最終的には自分で面白いことをしていれば大丈夫だろうみたいな、謎の自信があったんですよね。コンビを解散したあとは、深夜のコールセンターでバイトを始めて、収入はだいたい月15万円くらい。たまにロフトプラスワンのイベント司会の仕事を振ってもらえて、そこで貴闘力さんとか、突如麻原批判を始めた上祐史浩氏をゲストに呼んだトークライブをやったりしました。自分なりに面白いという軸をぶらさずに司会の仕事を続けていると、次第に「あいつ回し上手えな」って認められるようになってきて、一時期はこういう仕事を中心にした「司会業」として生きていってもいいのかな、と思ったりもしました。