売れない芸人が集まった『許可局』誕生前史
――ブログの開設といい、司会の仕事といい、一人ぼっちになったときに手を差し伸べてくれる人との出会いが貴重ですね。
鹿島 そうですね。さっき謎の自信があったと言いましたけど、この頃の行動は全部今につながっていますね。ライブが終わったあと、マキタスポーツや米粒写経のサンキュータツオと居酒屋やルノアールに行って、昨日観たテレビの話とか、「なんでああいう笑いがウケるのか」みたいなことを淡々と語り合っていたんです。この時間がみんな好きで、誰彼となくこれをポッドキャストで配信しようということになった。みんな売れない芸人だったけど、もしかしたら僕が「一人ぼっち」になったことを心配して、ポッドキャストという場所を作ってくれたのかもしれませんけど。
こうして、マキタさんとタツオと僕との配信が始まって、登録数が増えていって、コンビ時代よりも僕のことを知ってくれる人も増えていったんです。今も続いている『東京ポッド許可局』の誕生前史ですね。
――時事芸人として自分を確立した、と思うタイミングはありますか?
鹿島 2013年に『許可局』がTBSラジオで番組になったこと、ニッポン放送でナイターオフシーズンの番組を任されたこと、翌年に初めての単著『教養としてのプロレス』(双葉社)が売れたあたりですかね。2017年の「文春オンライン」スタート時から連載陣に抜擢されたのも大きいと思います。
昨日今日起こったことを原稿に書いたり、ラジオで話すと喜んでもらっている、ウケているという実感が出てきた。あと、1年を振り返る年末ライブをやり始めて、時事漫談一本で舞台に立ち始めたんです。コンビ時代は定番のネタとかいろいろ試行錯誤していたんですが、時事ネタだけでいいじゃんって吹っ切れたんですね。これが42~43歳のこと。今は毎日のニュースをネタにできるか考える日々ですから、コンビ時代よりもよっぽど芸人していると思ってます。
40越えてバイトを辞めて生活できるように
――40歳前後というのはキャリアチェンジのギリギリのラインと言われたり、こと仕事面では分岐点で悩む人も多いんじゃないかと思うんです。こうして振り返ってみて、鹿島さんがこの世代に伝えたいメッセージってありますか?
鹿島 僕なんかバイトを辞めて生活できるようになったのが40越えてからですし、結婚したのが43歳のとき。本当に42~43歳からですよ、こうやって好きなことを仕事にできているのは。でも、「謎の自信」を持ってここまでこれたのは、人より溜めの時間が多かったからだと思います。
若いころは無駄なことしかやっていなかったけど、無駄なことが役に立っている。新聞が好きでネタにし始めたら、時事芸人とか読み比べ芸人としてニッチなポジションをいつの間にか獲得できていた。東スポを読み続けていたから、今のネタがある。一人ぼっちになっても、何とかやってこれた。そして実際は一人ぼっちじゃないこともわかった。無駄の埋蔵量が多い人ほど、人生の曲がり角や分岐点にうまく太刀打ちできるんじゃないかって思います。
写真=佐藤亘/文藝春秋