第二次世界大戦の敗戦後、崩壊した「満州国」に取り残された開拓団員たち。彼らは日本への引揚船が出るまで入植地に留まり、集団難民生活を送っていた。しかし、暴徒化した現地民による襲撃や、進駐していたソ連兵たちからの“女漁り”や略奪は日ごとに激しさを増していく……。
開拓団員たちは、繰り返される“暴力”にいったいどのように対峙していたのか。ここでは、ノンフィクション作家の平井美帆氏の著書『ソ連兵へ差し出された娘たち』(集英社)より一部を抜粋。ソ連兵への「接待」を命じられていた女性の証言を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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最年少の「接待」役
玲子はソ連兵への「接待」に出された娘たちの中で、一番年下だった。
「何がなんやら、わからん」
自分の知らないところで、勝手に物事が進められていたとふり返る。大人のあいだでどのような話し合いが行われたかなど、さっぱりわからない。
団長の新市が娘たちを1カ所に集めたときのことは覚えている。だが、玲子はみんなが座っている列の一番後ろにいたから、前にいる団長が何を話しているのかよくわからなかった。まわりの子は下を向いていたし、自分もただうつむいていた。「犠牲」というふうな言葉は耳に入ってきたが、何を意味しているのかわからない。
新市から話があってから、ほかの大人たちの話で「接待」とも耳にしたが、てっきりお茶を汲んだり、お酒を注いだりと、大人の男の身のまわりの世話をするのだと思っていた。これから自分に何が起こるかなど理解できていなかった。
しばらく経ったころ、炊事場にいると、ひとりの男が近づいてきた。
何と言われたかまでは覚えていないが、今日はある場所へ行くようにと伝えられた。事務連絡のようだった。
3、4人の娘が集められると、本部敷地内のある一棟に連れていかれた。
玲子を先頭にぞろぞろ入っていった。一緒にいた2人の名前は覚えている。もう1人いたような気がするが、誰だったかは思い出せない。
見覚えのあるカウンター、その台の上にお酒が入ったような青い瓶が何本か見えた。
玲子はここへ連れてこられる途中ですら、そして着いてからも、何かソ連兵のお手伝いをするために呼ばれたのだと思っていた。自分だけでなく、ほかの娘たちもはたして何をすればいいのかわからない様子である。