「プーチンがウクライナ侵攻を決断したと確信する」
プーチンの精鋭部隊がウクライナ国境を侵すのに先立ち米軍の最高指揮官たるバイデンはこう断言した。この大統領発言にロシアに潜んでいる“モグラ”は震えあがったにちがいない。
国境に迫るロシア軍を衛星から監視するだけでは、攻撃を決断した独裁者の心の内までは掴めない。ヒューミント(人的諜報)なくして「侵攻は確実」と断じることはかなわない。ホワイトハウスへの極秘報告は、クレムリンの中枢に潜む二重スパイに依拠している。それゆえ米大統領が貴重な開戦情報を明かせば、情報源に摘発の手がのびてしまう。諜報世界に誰よりも通じているプーチンなら裏切り者を炙り出すことなど容易だろう。ワシントンが彼の地に送り込んだ“モグラ”たちはいま命の危険にさらされている。
『最高の敵』は、攻守所を替えて、ワシントンを舞台にした米ソ超大国の情報戦(インテリジェンスウォー)を描いた迫真のドキュメントだ。東西冷戦のさなか、KGBの要員として送り込まれたのはゲーニャ・ワシレンコ。スポーツマンにしてハンサムなこのスパイをリクルートしようと挑んだのがCIAのカウボーイ・ジャックだった。
このふたりが繰り広げる人間ドラマは、カネで転んだり、体制への幻滅から寝返ったりするステレオタイプのそれではない。気の遠くなるような歳月をかけて名うての情報戦士が真っ向から対峙した死闘だった。ジャックは、出世欲に取り憑かれたCIAの上司が早く戦果をと急かすのに抗い、ゲーニャに全人格をぶつけて立ち向かった。だが、酒と銃と女をこよなく愛する寒い国のスパイは、祖国を裏切ろうとしない。その果てにふたりは類い稀な友情を築きあげていった。
ゲーニャは、モスクワに帰任後、カリブ海の小国ガイアナに赴任する。ジャックは親友から会いたいというシグナルを受け取ると、彼が大好きな猟銃を手土産にガイアナを訪れて交友は復活する。だが、或る日、キューバに呼び出されたゲーニャはKGBに捕らえられ、本国のレフォルトヴォ収容所に収監されてしまう。
「カウボーイの友情ははじめから見せかけだったのか」
ふたりの友情は最大の危局を迎えることになった。だが、ゲーニャを裏切り者だと密告したのは、クレムリンがワシントンに忍ばせた“モグラ”だった。やがてこの事件は米国を揺るがす二重スパイ事件の伏線となる。ジャックは、俳優デ・ニーロまで動員して親友を救い出そうと奔走する。
ふたりの友情はソ連崩壊から新生ロシアまで貫いて揺るがなかった。一方で秘密警察のKGBも、FSB(連邦保安庁)と名を替えて生き延びた。その冷酷さはいささかも変わらず、侵略戦争の司令塔を担っている。プーチンに叛旗を翻す「最高の敵」よ、いまこそモスクワに現れよと願ってやまない。
Gus Russo/1950年生まれ。ノンフィクション作家、調査ジャーナリスト。著書に『The Outfit』など。
Eric Dezenhall/1962年生まれ。作家、危機管理コンサルタント。「Dezenhall Resources, Ltd.」CEO。著書に『Glass Jaw』など。
てしまりゅういち/1949年生まれ。外交ジャーナリスト・作家。著書に『鳴かずのカッコウ』『ブラック・スワン降臨』などがある。