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性的搾取の恐れなく少年たちを監督するために…

 オスマン帝国において、宦官はいつから利用されたのだろうか。

 オスマン帝国における宦官の組織的活用は、15世紀前半にはじまり、デヴシルメ制(キリスト教臣民の少年を徴用する制度)、そして君主の側近として小姓を育成するシステムの形成と並行して発展した。

 内廷で働く小姓は、君主の身の回りを世話する、将来のエリート候補生である。男性といえども成人する前は性的な対象となりえたから、性的搾取の恐れなく少年たちを監督するために、宦官が必要とされたのだ。

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 小姓たちを監督する役目をつとめたのは、白人宦官である。その供給源はさまざまであった。そのひとつに、バルカン地方での戦争捕虜があげられる。15世紀までのオスマン帝国は、バルカンのキリスト教諸国と頻繁に干戈を交えていたから、捕虜には事欠かなかった。

 また、デヴシルメ制で徴用された少年たちの一部も、宦官になるよう取り計らわれた。去勢手術の生存率は、若い方が高かったから、徴用された者のなかでも年少者が対象となったと考えられる。ただし時代が下ると、女奴隷同様、宦官にされる男性の白人奴隷もコーカサス地方から購入されることが一般的となった。

白人宦官の去勢手術

 白人宦官の場合、施術はおそらく帝国内で行われたと思われる。たとえば、高名な白人宦官長ガザンフェル・アアは、おそらく宮廷医師によって去勢されている。また、16世紀後半に宰相やエジプト総督を務めたメスィフ・パシャも、ボスニア出身の宦官であり、宮廷で去勢手術を受けたという。しかし、イスラム法との矛盾をどのように解決したのかはつまびらかではない。

 なんにせよ、宮廷で施術を受けることができた者は、まだ幸運だったといえよう。白人宦官ハジュ・ムスタファ・アアの運命は、過酷かつ数奇なものだった。ムスタファはトルコ人を父とし、ボスニア地方の劣悪な環境で育った。あるとき、ひとりの非正規兵がムスタファを男娼としてかかえたすえに、彼に去勢手術を施した。手術は成功し、非正規兵は彼をイエメン総督マフムト・パシャに献呈する。非正規兵は多額の見返りを受け取ったことだろう。なにしろ、宦官は通常の奴隷よりもはるかに高い値が付くのだ。

 ほかにも、1560年、バルカン半島の町プリズレン近郊の地方指揮官が、オスマン臣民である3人の少年を捕らえて去勢手術を施したが、みな死亡し、その指揮官は民を虐げた罪で罰せられたという例がある。そもそも、ムスリムや、非ムスリムであっても帝国臣民を奴隷としてはならない。さらに帝国内での去勢手術は禁じられているから、これは二重の違法行為であった。

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