中国や朝鮮の歴代王朝が、女性だけが住まう「後宮」を構えていたことはTVドラマでもお馴染みだろう。かつては天皇家も後宮を有しており、徳川将軍家も大規模な「大奥」を持っていた。しかし、日本と諸外国の後宮組織には大きな違いがある。それは「宦官」という存在の有無だ。
男性器を切除された男性しかなれなかった「宦官」とは、いったいどのような存在だったのか。ここでは、歴史学者の小笠原弘幸氏がオスマン帝国の後宮についてひもといた『ハレム:女官と宦官たちの世界』(新潮選書)の一部を抜粋。かつてのイスラム帝国で行われていた奇妙な慣習について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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宦官とは何か
オスマン帝国の後宮「ハレム」の住人たちのなかで、異色の存在が、宦官である。
宦官とは、男性器を切除された男性である。古来、東は中国から西はオリエント・地中海世界まで、さまざまな文化圏に、宦官は存在した。彼らは、君主や有力者に仕え、主として寵姫たちの住まう後宮で働いた。生殖能力を制限されているため、女性たちの管理者としてふさわしかったからである。
オスマン帝国のハレムでも、母后の右腕として、女官たちの統括役として、宦官は大きな存在感を持った。ハレムのなかのみならず、国政に大きな影響力をふるった宦官もいる。
イスラム誕生以前のアラビア半島において、宦官が利用されていたかどうかは定かではない。たとえ利用されていたとしても、預言者ムハンマドは、宦官にたいして否定的な言行を残している。イスラム法では、みずからの意思で去勢手術を受ける自宮はもちろん、動物の去勢についても厳しく制限されているほどである。また、中国では、男性器を切除する刑罰である宮刑がしばしば行われたが、これも認められていなかった。
しかし、非ムスリムを対象とし、さらにイスラム世界の外で施術が行われるぶんには、人間の去勢は合法とされていた。そのため、宦官は基本的にイスラム世界の外部から供給されたのである。こうしてイスラム世界に輸入された宦官の身分は、まず奴隷であった。しかるのちに、主人の計らいによって自由人として解放されることがあるのは、一般の奴隷と同じである。なお、法的には、宦官は男性として扱われたことも付言しておく。