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自営業の父親と働く母親の反応は…

――ビジネスをすることやマンションへの引っ越しについて両親はどんな反応でしたか?

キメラゴン 40代後半の父親は皮製品のお店を経営している自営業で、母親は無添加調味料、無添加食材の販売をしています。お金を稼ぐことは最初から反対されませんでしたけど、高校や大学へは普通に通ってほしかったみたいですね。特に母親は真面目なので反対していましたが、40代の母が意地でも部屋にこもろうとする15歳の息子を連れ出すのは物理的に不可能。それを1週間ぐらい続けていたら折れてくれました。今は応援してくれて経理関係の仕事もやってくれています。父も「YouTubeもっと更新した方がいいんじゃないの?」とかアドバイスをくれますね。

キメラゴンさん Ⓒ文藝春秋/撮影・宮崎慎之輔

――「自分でお金を稼ごう」と思ったきっかけは何だったんでしょう。

キメラゴン 出勤するサラリーマンの姿を見て、明るい人が1人もいないな、こういう風にはなりたくないな、と思ったんです。だから自分で仕事を創ろうと思いました。僕は学校の勉強はできませんでしたけど、SNSの仕事は年齢が関係ないのはわかっていたので、スタートダッシュを早く決めるのが正解だと思ったんです。

 大学に行く人たちより早く経験値を積めば有利だし、失敗をする時間の余裕もできる。「不登校中学生が起業」なんて絶対取材もくるし、注目されるに決まってるから美味しいじゃないですか。それで中学3年生の夏休みが終わってから不登校になることを決めて、仕事を始めました。

勝どきのタワーマンションからは東京が一望できた

5段階評価で社会が「3」で、他は全部「2」

――不登校を決める前はどんな中学生だったんですか?

キメラゴン 中学校で仲が良い友達は不良っぽい子が多かったです。とは言っても、掃除をやらないとか合唱コンクールの練習さぼるとか可愛いレベルですけどね。学校は地元の普通の公立中学校でした。

 授業中はほとんど寝てましたね。歴史の授業は好きだったので真面目にノートをとったりしてましたけど、授業態度が悪かったのもあって成績はひどかった(笑)。5段階評価で社会が3で、他は全部2。義務教育って必要だとは思うんですけど、美術の授業とかはずっと消しゴムのカスを練ってましたね。学校では突き抜けるところまで習得できないので、無駄じゃないですか?

――中学時代に部活に入ってたり好きだったことってありますか?

キメラゴン 中1の春からドラクエXにハマってて、たぶんあれが人生で一番頑張ったことですね。ゲーム内で金を稼ぎまくるのが楽しくて、お金に興味を持ったきっかけもドラクエかもしれません。小学生の頃は公文に通ったり空手を習ったり、母が教えていた社交ダンスをかじったり、習い事が多かったですね。

 中学では友達と一緒に野球部に入ったんですけど、自分が3カ月で転校することになったので辞めて、新しい学校では卓球部に半年いました。卓球部では地味な人が多くて、シンプルにつまらなかったですね。「俺たちは頑張っているのにどうしてあいつはさぼるんだ」みたいな同調圧力をかけられて、じゃあお前もさぼればいいじゃん、と思ってましたね(笑)。バク転できたら楽しいかなと思って体操部にも入りましたけど、跳び箱や鉄棒ばかりやらされてすぐ辞めました。

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