赤井 DDTが運営している居酒屋さんでごはんを食べたんですけど、社長と選手何人かに囲まれて、逃げ場がない状況で誘われましたね(笑)。でも食事に行く時点で、なんとなく誘われそうな気がしていたんですよ。だから覚悟はしていたんですけど、実際に誘われた時は、「うわ、本当に来た!」と思いました。
プロレスデビューを決意した理由
――赤井さんの答えは?
赤井 社長には「すみません、ここですぐにお返事できないので、持ち帰らせていただきます」と伝えましたけど、その時点では80%断ろうと思っていました。私がプロレスをやるということでプロレスのハードルを下げたくなかったんです。「芸能人が片手間で始められたんだから、プロレスは誰でもできるんだ」と思われたくなくて。
自分がプロレスをめっちゃ好きになっていて、リスペクトがあったからこそ、断わろうとしていたんですよね。
――そこからプロレスデビューに翻意した理由は、何だったのでしょうか。
赤井 その時はもう、プロレスという文化が好きになっていたんです。でもほかの人たちは普通に日常生活を送る中で、プロレスを知る機会がない。いまは“プロレス芸人”さんとかがたくさんいらっしゃって、いっぱいプロレスの話をして広めようとしてくださっていますけど、当時はそこまで多くなかった。
だから、大好きなプロレスを自分なりの方法で広めることはできないかと考えたんです。そしたら「私はもう、選手としてしか広めることができないのかもな」と思い始めて、「私がきっかけでDDTを知ってもらったり、ほかの選手を好きになったりしてもらえたらいいな」と思うようになって。それで、1か月くらい悩んでからプロレスデビューを決めました。
――周りの人には相談されたんですか。
赤井 母に相談したら、「プロレスをやるなら、親子の縁を切る」と大反対されましたね。母としては、モデルや芸能のお仕事をしてるから娘を1人で上京させたのに、プロレスをやるのは話が全然違うじゃないか、という意見だったんです。「京都に帰ってきなさい」とも言われました。
――お母さまとは、どうやって折り合いをつけたんでしょう。