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「ノーヒットノーランか、完全試合」佐々木朗希の大記録を予言していたミスターロッテ75歳の“特別な一日”

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/05/07
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 あの衝撃の完全試合の1週間前。佐々木朗希の大記録達成を予言していたレジェンドがいた。ミスターロッテ、有藤通世さんである。

「ノーヒットノーランか、完全試合」

 2022年4月3日、ZOZOマリンスタジアム。埼玉西武ライオンズ戦。今から思えば、この日の佐々木朗希も十分に強烈な光を放っていた。立ち上がりから163キロの速球、148キロのフォーク、それを力みなく190cmの長身から叩きつけるように投げ込む姿に心を奪われた。実況アナウンサーになって30年、こんな投手は見たことがなかった。

「ものすごいピッチングを私たちは目撃しています」

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 思わず、そう言っていた。野球の実況の時は、なるべく冷静に伝えるようにしているのだが、8回に入ってもまだ160キロの速球を、左打者のインサイドに決めた瞬間、ひとりの野球ファンとしての興奮が、冷静さを装っていた自分を吹き飛ばした。

「有藤さん、すごいピッチングですね」

 そう言って、有藤さんのほうを向いた。解説席のレジェンドは、しかし、予想に反して落ち着いていた。興奮のかけらもない、落ち着き払った表情で僕の顔を見て、こう言った。

「彼の力からしたら、ノーヒットノーランか完全試合。それをやってのけたら、すごいピッチングだと認めますよ」

 今、目の前で8回3安打、毎回の13奪三振という文句のつけようがない投球を見て、それでも有藤さんは物足りなそうな口ぶりだった。佐々木朗希の力は、まだまだこんなもんじゃないんだぞ、と彫りの深い顔立ちのレジェンドの眼が語っていた。

有藤通世 ©文藝春秋

 試合は千葉ロッテマリーンズが勝ち、テレビ中継も無事終了。有藤さんは、細かく記入したスコアシートと鉛筆で書き込まれた資料をいつもの大きな封筒に入れて、そしていつものように髪の毛を櫛で整えてから、立ち上がった。

 ディレクターが声をかける。「中6日なら、来週の日曜はまた佐々木朗希ですので、よろしくお願いします」。ちょうど1週間後のテレビ中継の解説は有藤さんの担当になっており、実況はまたしても僕だった。

 有藤さんは、大きな頑健な体をゆっくりと動かし、放送席から出ていこうとしていた。僕が「実況はまた私ですので……」と言うと、立ち止まり、少しだけ振り返って、「ノーヒットノーランか、完全試合」。そう言って、かすかに笑みを浮かべて部屋を出ていった。

 いやいや、さすがにそれは厳しいでしょ。だって、まだ完投もしたことがないんだから。

あの日は最初から「完全試合」という言葉が放送席で飛び交っていた

 そして、1週間後の日曜日がやって来た。4月10日、青空。オリックス・バファローズ戦。日差しに春の温かさを感じた。

 試合開始2時間前。マリンスタジアムのテレビ放送席に、有藤さんが姿を現した。レジェンドのオーラがある。

「天気もいいですし、佐々木朗希のピッチング、楽しみですね」

 ワクワクした気分で僕は話しかけた。

「ノーヒットノーランか、完全試合だな」

 そう言って、僕の顔をのぞきこんできた。「おまえはどう思うんだ?」と訊かれたように感じた。

「いやあ、まあ……いいピッチングはしてくれそうですね」

 僕はちょっとドギマギした感じになって、笑ってごまかした。そんな僕を見て、有藤さんはまたかすかに笑みを浮かべた。

 僕の中にある、つまらない常識が、完全試合という夢のような言葉を受け入れなかった。打者の技術が進歩した現在のプロ野球、しかも投手が打席に立たないDH制のパ・リーグで、まだ完投経験もない20歳の投手が完全試合……。今から思うと、もうあの時にはすでに有藤さんにしか見えない光が、有藤さんにははっきり見えていたのかもしれない。佐々木朗希という稀有な投手が放つ光を。

 試合開始時間が近づいてきた頃、有藤さんがまた完全試合の話を始めた。

「吉田さん、俺は完全試合、やったほうでもあったし、やられたほうでもあったんだよ」
「そうなんですか。あの今井雄太郎さんの時ですか?」
「それは、やられたほうでね。六さん(八木沢荘六さん)の時は仙台で三塁を守っていて、やったほうだったな。あの時は金田さん(当時の金田正一監督)が歯の治療で試合の時にいなくてね。監督が歯医者さんに行っちゃうんだからすごいよな。ハッハッハ」

 と、昔のプロ野球ならではの豪快なエピソードも聞かせていただいた。

 というわけで、あの日は最初から「完全試合」という言葉が放送席で飛び交っていた。

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