「シカゴ」で買ったベースボールシャツは、よく着てたなあ
横山 野宮さんは、どんな店で洋服を買ってたんですか。
野宮 まずは、大川ひとみさんの「MILK」。小さい店だったから、足を踏み入れるのに結構勇気が要りました。お金はなかったから、そうそう洋服は買えなかったけど。ラフォーレ原宿の地下にあった「フィオルッチ」にもよく行きましたね。それから、名前は忘れちゃったけど、今、原宿の東急プラザの立つ場所にあったセントラルアパートの地下には、小さくて素敵なお店がたくさんありました。外タレが来日すると決まって立ち寄るというロック系のお店もあって、そこの壁には錚々たるミュージシャンのサインが並んでいた。
横山 古着屋でいうと?
野宮「赤富士」とか「シカゴ」とか。
横山 うわー、懐かしい! まさに、僕が古着を買い取ってもらってた得意先ですよ。
野宮 シカゴで買ったベースボールシャツは、よく着てたなあ。あとは、渋谷のファイヤー通りにあった「文化屋雑貨店」で小物を買ったり。
新宿の「ツバキハウス」なんかは結構通いましたね
横山 原宿には、日本におけるクラブの走りともいわれる「ピテカントロプス・エレクトス」もありました。
野宮 私、ポータブル・ロックというバンドのメンバーとして、ピテカンには何回か出演したことがあります。
横山 僕も、クールスRCのライブをピテカンでやったことがある。野宮さんが属していたニューウェーヴ系文化と、僕らが属していたリーゼント系文化は、生息圏がまったく違うように思われがちだけど、be-bopやピテカンといった場所を舞台に、原宿あたりでは意外な形で交流があったんですよ。ピテカンの店長は、ブラックキャッツというロカビリーバンドのベーシストで、「クリームソーダ」の店員だった陣内淳君が務めていたし。
野宮 クラブではなくまだディスコと呼ばれていたけれど、新宿の「ツバキハウス」なんかは結構通いましたね。
横山「テアトル新宿」の上にありましたね。文化服装学院の学生とか、お洒落でとんがった感じのお客さんが多かった。
野宮 個性的な格好した人がいっぱいいましたね。黒いゴミ袋で作ったスーツを着てる子とか(笑)。ツバキでは、高木完ちゃんをはじめ、東京ブラボーのメンバーとか、あの辺のバンドの人たちと知り合いました。
横山 新宿でいうと、花園神社の近くにあった「第三倉庫」も面白かった。後に「ミロスガレージ」に名前が変わった場所ですね。
野宮 他にもいろんなディスコに行きました。ただ、お金が全然なかったから、誰かのライブの打ち上げに潜り込んでご飯食べたり、水曜日のレディースデーに無料で入ってフリーフードにありついたりすることが主な目的だったかも(笑)。