エイジレスでエレガンスなファッショニスタ野宮真貴さんが、2020年3月で還暦を迎える。「歌とおしゃれが大好き」な彼女は、一体どんな人生を歩んできたのだろう。内気な少女がロックに目覚め、「渋谷系の女王」と呼ばれるまでの半生を振り返ってもらった。『週刊文春WOMAN』創刊1周年記念号のインタビューに未収録トークを加え、3倍以上に拡大した完全版。(全3回の1回目/#2#3も公開中)

 

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真貴という名前は父の教え子がつけてくれた

 1960年、北海道で生まれました。釧路に近い白糠という小さな町です。父は白糠の高校教師。母は主婦で、若い頃はわりと美人さんで、「ミス白糠」に選ばれたこともあるそうなんです。父と母をくっつけたのは、母の妹。父の教え子だったので、父に母を紹介してキューピッド役になったそうなんです。

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 私の「真貴」という名前は、父がクラスで名前を募集して決めたと聞いています。当時としては、2文字で「子」が付かない名前はまだ珍しかった。ハイカラな名前だったと思います。

 生後すぐ札幌へ移り、幼稚園を卒業するまでは札幌。小学校入学と同時に東京の杉並に引っ越しました。父が教師を辞めて貿易会社のサラリーマンになったんです。

 歌に興味を持つようになったのはその頃から。キッカケはテレビから流れてくる歌謡曲。『シャボン玉ホリデー』(61年~72年放送の音楽バラエティ番組)をよく観てました。グループサウンズが大好きで。ムッシュ(かまやつひろし)のザ・スパイダース、ジュリー(沢田研二)のザ・タイガース、ショーケン(萩原健一)のザ・テンプターズ。歌はもちろん、彼らのファッションにも興味津々でした。

黛ジュンが歌った「天使の誘惑」(作詞:なかにし礼/作曲:鈴木邦彦)は1968年の大ヒット曲。その年のレコード大賞も受賞。

 おしゃれに目覚めたのもその頃。そこは母の影響も大きかった。洋裁が得意なので服をよく作ってくれたんです。2歳違いの妹とおそろいで。母はいまもそうですが、とってもおしゃれな人。当時母が着ていたピエール・カルダンのワンピースは憧れでした。私も早く大人になってこういうのを着たいなあって。

 そういえば、「天使の誘惑」が大ヒットした黛ジュンさんは、ミニのワンピースがトレードマークだったけれど、あるとき母がこんなことを言ったのをよく覚えているんです。「黛さんの衣装は、黛さんのお母さんが作ってるんだって。真貴が歌手になったら作ってあげるわね」って(笑)。

週刊文春WOMAN (vol.4 創刊1周年記念号)

 約束通り、衣装を作ってもらったことがあるんです。歌手としてデビューしたはいいけれど、売れなくてコーラスの仕事をしていた頃。衣装を買うお金がないから母に作ってもらった。トップアイドルだった黛さんとはずいぶん状況が違いましたけどね。

 とにかく、子供の頃から「歌とおしゃれが好き」。それはいまもずっと変わらない。そのまま還暦を迎えた感じなんです。初志貫徹と言えば聞こえはいいですが、不器用というかシンプルというか。「素敵な服を着て、華やかなステージで歌を歌う」ことが私のやりたいことだし、それが私が一番うまくできることなんです。私よりもおしゃれな人はいるし、歌のうまい人もいます。でも私は、人に夢を見させてくれる「スター」に憧れているんでしょうね、きっと。