ロックを「やる」 校則とロックと安全ピンと
高校時代は、音楽を聴くだけじゃなく自分でもやりたいと思うようになって、バンドも始めました。女子校だったのでガールズバンドでした。でも、当時はまだ女の子で楽器をやる子は少数。音楽誌でメンバーを募集したこともありました。コピーするのはKISSの曲。真剣にやるというより、楽器を触って音を出して楽しみたいっていう感じでした。ただ、その頃、私はボーカルじゃなくてギターなんです。歌うことが大好きなはずなのに、どうやってもシャウトができない(笑)。ロックは歌えないなって。
ロックファッションでギターケースを抱えてロンドンブーツを履いて。そのスタイルが好きだったというのもあります。当時の私は完全にロック少年風。ファッションのお手本はロック好きの男の子。「ロック少女」というより「ロック少年」になりたかったのかもしれない。「ロック美少年」が憧れでしたから(笑)。QUEENでいえばドラムのロジャー・テイラー。いわゆるヴィジュアル系の走りですよね。
だから男性を意識したいわゆる「モテファッション」をしたことがまったくないんです。私はロックスターに同化したいのであって、男性からモテることには興味がない。だから、「自分が着たい服を着る」んです。その基本姿勢は今現在も変わっていない。今から思えばもう少しモテる恰好をしておけばよかったかも? とは思いますけどね(笑)。
高校が女子校で、校則がものすごく厳しかった。ロックは禁止。ビートルズも禁止。学校では一切ダメなんです。服装も厳しくて、前髪は眉毛の上、スカートの長さも膝下何センチと決まっていたし、靴下も3つ折り。レコードの貸し借りも、新聞紙に包んで、それをさらに風呂敷に包んで持って行かなきゃいけない。
でも、厳しければ厳しいほど反発する年頃。外見は普通に見えるように装って、ブレザーの内側に安全ピンを100個ぐらい仕込むとか、シャギーを入れた髪を3つ編みにするとか、かすかな抵抗をしてました(笑)。ロックは不良の音楽。まだまだそういう時代だったんです。
でも、卒業式の謝恩会では、バンドで演奏することが叶いました。ただ、ロックを知らない子も多かったので、みんなが知ってる「ルパン三世のテーマ」をセットリストに入れたりしました。先生も生徒も、みんなすごく盛り上がりました。その歓声が忘れられなくて、プロになることを決意したんです。
野宮真貴
ピチカート・ファイヴ3代目ボーカリスト。ピチカート・ファイヴの名曲を収録した「THE BAND OF 20TH CENTURY: Nippon Columbia Years 1991-2001」が7inch BOXとCDアルバムで発売中。20年3月12、13日にライブ「野宮真貴、還暦に歌う。」を開催。彼女が敬愛する鈴木雅之と横山剣がゲストボーカリストとして登場する。
http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=11864&shop=1
text:Izumi Karashima
photographs:Wataru Sato
hair&make-up:Noboru Tomizawa