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「勤務時間中は、ほとんど歌詞を書いたりライブの構想を練ったり」デビュー40周年・野宮真貴62歳の“神保町OL時代”

野宮真貴×横山剣 対談#1

2022/04/29
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制服のブレザーの内側に安全ピン100個ぐらい仕込んだりして

野宮 普通科はどんな感じでした?

横山 ただの厳しい学校(笑)。とにかく校則がガチガチで、バイトもバイクもダメなら、女子生徒との会話も禁止。何のために入ったのか分からなくって、転校しました。

野宮 私の通ってた女子高も、すごく厳しかった。校内でレコードを貸し借りする際は、新聞紙にくるんで、セロテープで留めて、さらに風呂敷で包まなきゃいけない。学校の中では絶対に中身を開かないという条件でようやくお許しが出たんです。

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横山 すごい学校ですね。

野宮 抑圧が強かったから、反発もしましたよ。パンクが台頭した時代だったから、制服のブレザーの内側に安全ピン100個ぐらい仕込んだりして。表向きは、ちゃんと校則守ってるように見えるんだけど(笑)。

横山 その姿勢、真性パンクですよ。カッコいい!

昼は神保町でOL、夜はバンド活動にディスコに…

野宮 高校を卒業してからは、英語の専門学校に2年通いました。その間に、さっき言ったパズルというバンドで活動を始めたんですよ。レコード会社と契約できるかと思ったもののなかなか上手くいかず、親の手前もあって、専門学校を出た後は1年ちょっとOLをやってました。

横山 野宮さんがOLだったというのは初耳です。どんなお仕事だったんですか。

野宮 コンピュータプログラマーの派遣会社で働いてました。神保町にあったそのオフィスでもっぱら電話番をしてたんだけど、勤務時間中はほとんど、歌詞を書いたりライブの構想を練ったりしながら過ごしてましたね。5時ぴったりにタイムカードを押した後は、練習スタジオ行ってリハやってという毎日。

左は「パズル」時代に出場した「イースト・ウエスト’80」の雑誌記事。右は、OL時代の野宮さんが会社で電話番をしながら、せっせと手書きしていたバンド紹介チラシ

横山 会社にはどんな服装で通ってました?

野宮 ニューウェーヴ少女だったので、ミニスカートにモヘアのセーターとか着ていっちゃってた。ところがある日、見積書を取引先の富士通に届けてくれと頼まれて、この格好じゃまずいなと。当時流行していたニュートラ・ファッションの後輩OLに服を全部交換してもらって、富士通まで行きました。刈り上げショートには全然似合わなかったなあ(笑)。