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はじめは“B面扱い”だった謎だらけの球団歌 『ファイターズ讃歌』の迷宮

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/05/11

 4月17日のZOZOマリンスタジアムの7回表開始前、それまでパーフェクトピッチングを続行中の千葉ロッテマリーンズ佐々木朗希投手が投球練習中にこの曲を口ずさんでいた(らしい)出来事が大きな話題となった、ファイターズの公式球団歌『ファイターズ讃歌』。

 現在、各球場で流れる歌声の持ち主は、ロックバンドTHE TON-UP MOTORS(現在活動休止中)のボーカルで札幌テレビ放送の人気番組『ブギウギ専務』のメインパーソナリティーを務める上杉周大。『ファイターズ讃歌』、球団歌としても応援歌としてもいい曲だなーと思います。

 この曲の初代歌手は『秘密戦隊ゴレンジャー』や『宇宙戦艦ヤマト』など数々の特撮・アニメ主題歌を歌い、“アニメソング界の大王”と呼ばれる、ささきいさお。2代目は『おかあさんといっしょ』の“うたのおにいさん”こと、速水けんたろう。上杉ver.は3代目となります。東京時代の、それも大昔に誕生したこの曲は北海道移転後も球団歌としてすっかり定着しました。ささきver.の7インチシングルレコード盤リリースは1977年。それから今年で45年を迎えます。

コーラスは水島新司原作のアニメ『ドカベン』の主題歌『がんばれドカベン』で知られるコーラスグループ、こおろぎ’73 ©FPM中嶋

なぜ特撮・アニメ主題歌風味に仕上げてしまったの?

 発売当時の盤を見てみましょう。ペラ紙ジャケットの『それゆけぼくらのファイターズ(以下「それゆけ」)』の曲名の上には「日本ハムファイターズ球団歌」と表記されていますが、『ファイターズ讃歌(以下「讃歌」)』には特に表記がありません。また、レコード盤のセンターラベルを見ると『それゆけ』は「1」、『讃歌』は「2」と表記。7インチ盤は「1」または「A」がメインタイトルの曲と表しますから、つまり発売当時の『讃歌』はB面曲扱いだったわけですね。ジャケット裏の歌詞カードには、作家陣として『それゆけ』は「石原美代子作詞・作曲/中村泰士補作詞・補作曲/高田弘編曲」、『讃歌』は「石原信一作詞/中村泰士作曲/高田弘編曲」とクレジットされています。

石原信一は南海ホークス香川伸行の応援歌『青春ドカベン(歌・斉藤努)』の捕作詞、高田弘は西武ライオンズ球団歌『地平を駈ける獅子を見た(歌・松崎しげる)』の編曲を、それぞれ手掛けている ©FPM中嶋

 発売前年の1976年に「ファイターズ、球団歌歌詞を一般公募」という新聞記事を見た覚えがあり、私は当初、両曲とも公募の中から選ばれた曲なのだという認識でいました。しかし作家陣は石原美代子さん以外、いずれも日本歌謡界の大御所ばかり。「石原美代子作詞・作曲/中村泰士捕作詞・補作曲」というクレジットから察するに、『それゆけ』が石原美代子さんの応募曲で、制作にあたり中村泰士さんがリライト、空いたB面はプロの作家陣で穴埋めしたのではと想像します。

 1977年3月、後楽園球場での対中日ドラゴンズのオープン戦試合前にお披露目イベントが行われ、その当日、中学生の私は「どんな曲なんだろう?」と期待感をもって球場へと足を運びました。イベントが始まり、マウンド付近でささきいさおさんが「やきゅうのへいわをまもるたっめー」と『それゆけ』を歌っています。

 私の身には「え、これが球団歌なの!?」と衝撃が走り、気恥ずかしい思いに駆られました。それは歌詞や楽曲が、あまりにも特撮・アニメ主題歌に寄せていたからです。プロ野球チームの球団歌を、なぜ特撮・アニメ主題歌風味に仕上げてしまったの? と。

 もちろん、私は幼少期から特撮・アニメ番組を夢中になって見ていた世代ですから、それらの楽曲を否定するわけではないし、主題歌の数々だって血肉となっている者です。しかし、『それゆけ』を一聴して「これは違うだろう……」と違和感を覚えたのでした。「子ども扱いしないでくれよー」と。とかく子どもというのは、子ども扱いされるのを嫌がるものですから。これもある種の“共感性羞恥心”でしょうか。

『それゆけ』については、後年になってこそ「これはこれで味のある曲だよなあ」としみじみ思えるようになりましたが、そうなるまでに数十年を要しました。あの頃のファイターズは、少年ファイターズ会を立ち上げてちびっこファン獲得に本腰を入れ始め、あれこれと試行錯誤していた時代。私よりももっと年下の幼児・低学年の小学生に向けて作られたのだと考えれば納得です。レコードのA・B面曲の構成についても“甘口の『それゆけ』”と“中辛の『讃歌』”という具合に制作側がバランスを取った、という采配だったのでしょう。ところで今なぜ、カレーの味付けに例えたのかは自分でもよく分かりません。

 この日、B面曲の『讃歌』も流れました。一塁側内野席に陣取る私設応援団のおじさんが「こっちの方が、いい曲だなあ」とボソッとつぶやいたことを覚えています。今にして思えば、あの場で『それゆけ』を聴いて気まずさを感じたのは、私よりもずっと年上の大人たちだったのかも知れません。応援団のおじさん同様、私も断然『讃歌』派でしたが、お披露目以降の後楽園球場では、おじさんや私の思いとは裏腹に『それゆけ』が毎試合パワープレイされました。球場で『それゆけ』をたっぷり聴かされた分、何かを取り返すかのように、家で『讃歌』ばかり聴いていた私。いやはや、中学生当時の私は発想といい行動といい、やはり子どもですね。

 国内におけるアナログレコードとCDの生産量の比率が逆転したのは80年代後半ですが、ささきver.の『それゆけ』『讃歌』がCD再発されたのは1994年。形態は8cmCD、いわゆる“短冊CD”です。

この頃、東京ドームで『それゆけ』が流れる場面は試合前に行われる少年野球チームのノック練習やキッズベースランニングの企画時などに限られるようになった ©FPM中嶋

 ジャケットの表・裏面には特に表記がありませんが、歌詞カード面を見ればアナログレコードと同様『それゆけ』のみに「日本ハム・ファイターズ球団歌」の表記、『讃歌』は表記なし。しかし、このCD再発の時期に東京ドーム内で流されたのは圧倒的に『讃歌』でした。まるでアナログレコードとCDの生産量の比率が逆転したかのように、『讃歌』が球団歌の地位へと着々と上りつめ始めたのです。

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