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理想みたいなものの押しつけは

川内 『傘のさし方がわからない』の中で、岸田さんが弟さんの楽しい話を書くと、「障害のある家族をもつ人が全員幸せだと思わないでください」「奈美さんのような理想の家族を見ていると、つらくなります」という声が寄せられると書いてあり、驚きました。

 幸せな様子を見せることが誰かを傷つけてしまうとしたら、書くことに難しさを感じることもあるのでしょうか。

 

岸田 障害をもつ家族を愛せない人がいるのは当然です。でも、私の書くことで傷ついた、その悲しみや怒りって、私には「助けて」に近い感情だと思えるんです。だから、否定しないし、わかろうとします。

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 そもそも、私は、弟がダウン症だから一緒にいるんじゃなくて、ただ楽しいんです。

川内 ダウン症、とか、視覚障害者、果ては障害者、っていう属性と結びつけることなく、ひとりひとりを個人として語れるといいんですけどね。

 女性だから、とか、アメリカ人だから、みたいな、大きな属性は、ときに差別の裏返しにもなる。

岸田 「視覚障害者」なんて人は、この世のどこにもいないんですよ。目が見えないという特性をもつ、ひとりひとり別の人格の存在がいるということ。それなのにまとめて「障害者なのにすごい」とか。思い込みですよね。

 私の書くものを読んで、家族に障害者がいるのに明るくてエライ、「岸田奈美=家族愛」みたいな思い込みでこられるのも正直キツイんですよね。

 川内さんは、読者から「元気が出ました」とか「勇気が出ました」とか言われると嬉しいですか?

川内 まあそうですね。自分が書くものに、誰かが影響を受けることがあるんだという驚きとともに、よかったな、と思いますけど。

岸田 私、嬉しくないんですよね。共鳴してくれるのは嬉しいんです。でも、「私もそう思います、大好きです!」って言われると、あんまり嬉しくない。ありがとうございます、とは思うんですけど。

 

川内 一種の理想みたいなものを押しつけられても、違う気がしますね。

岸田 誰かにわかってほしいという気持ちと、わかってもらわなくていいという気持ちが混在していて。

川内 厄介ですねえ。

岸田 助けてあげたい、とか、応援したい、っていう気持ちって、誰もがもっているから。みんな気持ちよく優しくしたりサポートしたりする場所を探しているんでしょうね。

川内 多分みんな、愛したい気持ちがいっぱいあるんですよ。だけど、それを注ぐ対象がないこともある。その行き場のない愛が他者に過剰に向かって、時に恐ろしいことになる。愛をたくさん受け取るのも大変ですよね。