「舞台から降りたらもう、触角がとれた虫みたい」
ジャンルは変われど、いつも表現へ向かっているのがマキタスポーツさんの生き方であり営みだとも言えそう。この尽きせぬ表現欲はどこからくるもの?
「やりたいと思ったことを、誰に何と言われようとやってしまう推進力はあるんでしょう。やりたいと強く思ったことはたいていやれているのはうれしいし、幸せなこと。ただ、犠牲になっていることもありますよ。やりたい表現以外のこと、僕はびっくりするくらい何もできませんからね。それこそ郵便局で郵便物をどう出せばいいかとか、いまだに戸惑ってドキドキしちゃいます。
僕にとっては、ギターを抱えて舞台に上がっているときが、ものごとをクリアに見渡せるマックスの状態。舞台から降りたらもう、触角がとれた虫みたい。右も左もわからなくなるし、すべてがめんどくさい。許されるならずっと酒飲んで寝ていたいですよ」
「過去に見聞きしたあれこれをかなり盛り込んでいきました」
『雌伏三十年』には音楽事情をはじめ、1980年代以降のカルチャーが事細かに書き込まれている。日本現代風俗史をたどる愉しさもあるけれど、そのあたりは意図的なもの?
「その時代を生きていながら、どこかすこし引いた目線から世の中を眺めるところは昔からありましたから、それが活かせているとしたらよかった。僕は1970年生まれで、思春期だった80年代に漫才ブームやフジテレビの軽チャー路線が出てきて、世の建前を全部壊してネタにしていくのを目撃しました。日本にポップカルチャーとしてのお笑いが劇的に浸透していくのを、もっとヤレヤレ! と応援する気分だった。角棒を手に学生運動をしていた時代のことは知らないのですが、熱量としてはすこし似たものがあるんじゃないですかね。
僕が山梨から上京した直後に、昭和が終わって平成になりました。たとえば音楽の世界ではアナログレコードがCDに置き換わっていって、輸入盤なんかも含めていろんな音楽が手に入りやすくなったり、サンプリングという手法が注目されたりと動きが激しかった。
実際の行動にはなかなか踏み出せなかった僕も、そうした時代の流れにはよく感応してきたほうで、過去に見聞きしたあれこれをこの小説にはかなり盛り込んでいきました。カタログっぽく現代史を振り返る楽しみ方をしてもらえるとしたら、みなさんと共有するものができた感じがして僕もうれしいです」
(撮影:鈴木七絵/文藝春秋)