「つむプロ」では年明けのイベントに向け、グループごとに企画を練ることになった。苅谷さんのグループ6人は、何度も話し合ったが、なかなかまとまらなかった。
そんなある日、メンバーの家に集まった。苅谷さんはレモンをどっさり抱えて行った。自宅でとれすぎて困っていたからだ。
苅谷さん宅は、敷地の3分の2が庭になっている。そこには父が数えきれないほどの果樹を植えていた。「父はひもじい思いをした戦中世代なので果物のなる苗木を買っては植えていました」と苅谷さんは言う。ミカン、ハッサク、カキ、モモ、ビワ、イチジク、ウメ……。レモンは35年前に1本、20年前にもう1本と、2本を植えた。これが晩秋から冬にかけて、約300個もの実をつける。
「到底食べきれません。レモン酒、レモンシロップ、レモンカード(クリーム)、レモンマーマレード、塩レモン(発酵調味料)……。いくら加工しても追いつかず、外出する時には必ず持って出て、初対面の人にまであげていました」
大量のレモンを見たメンバーは驚いた。そして、イベントでは苅谷さん宅のレモンでジャムを作ろうと決めた。本番では大好評だった。
苅谷さんはいつしか「泉北ニュータウンには特産品が必要だ。皆で植えれば、レモンの街になる。加工品の製造販売にまで取り組んで、事業化したい」と考えるようになっていた。自宅のレモンをどうにかしたいというところから発想したのだが、泉北ニュータウンのイメージをレモンで発信したい、とも思った。
ニュータウンの一角を占める和泉市はミカンの産地で、この辺りの気候がレモン栽培に適していることも分かっていた。
15年7月、改めて「つむプロで取り組みたいこと」を発表する場が設けられた。苅谷さんは思い切って「レモンの街」の構想をぶつけた。
「これや!」。石橋尋志(ひろし)さん(39)は興奮した。
ベッドタウンから進化し第2世代が街をつくる
石橋さんも生まれと育ちが泉北ニュータウンだ。ニュータウンの将来に危機感を抱き、地元の工務店に勤めるかたわら、15年ほどボランティアで地域おこしイベントに関わってきた。だが、壁を感じていた。
「地域おこしと言うと、すぐにイベントになります。でも、単発の祭りや催しで地域は変わりません。ちょっとしたことでも、日常生活でできることを重ねていかなければならないのです。それが何なのか、考えあぐねていた時でした。レモンの街の構想は心に響きました」
苅谷さんをリーダーにして、石橋さんら13人が集まり、「泉北レモン」のプロジェクトが始まった。
まず、各人の家にレモンを植えた。戸建てなら庭に植樹し、集合住宅ならベランダに鉢植えを置いたのだ。ニュータウンの住民が簡単に買えるよう、地元の園芸店に頼んで苗木を置いてもらった。
「ニュータウンとその周辺で収穫した皮まで使える無農薬レモン」と定義して「泉北レモン」の商標も取った。地元の菓子店と協力してシロップ、マーマレード、フロマージュ(チーズ)の商品開発もした。
市からの補助金はない。そこで植樹した人には通し番号を付けたプレートを500円で買ってもらって登録し、活動費に充てたり、購入者の交流を行ったりすることにした。