負けるのではないかと、冷や冷やした。追いついても、追いついても、離される。
2017年12月、長野県軽井沢町。6カ国から30チームが参加して「軽井沢国際カーリング選手権」が開かれていた。1998年の長野五輪でカーリングが正式種目となり、軽井沢が会場になったのを記念して毎年行われている大会だ。
今回は2018年2月に韓国・平昌(ピョンチャン)で開催される冬季五輪の各国代表が男女9チームも出場し、まるで前哨戦のような大会になった。地元の軽井沢町からも五輪代表の男子チーム「SC(スポーツコミュニティー)軽井沢クラブ」がエントリーした。
日本のカーリングは、長野五輪こそ男女とも開催国枠で出られたが、以後も毎回五輪に出場している女子に対して、男子はパッタリ出場が途絶えた。それが20年目にしてようやく、出られることになったのである。しかも長野県勢としては男女通じて初めての快挙だった。
そのSC軽井沢クラブがどこまで戦えるか、軽井沢国際選手権で占える。ところが初戦で、北海道のチームに押されまくり、中盤を過ぎてもリードを許したままだった。
ただ、選手は落ち着いていた。笑顔で声を掛け合い、白い歯がこぼれる。そして終盤、難度の高いショットを連発し、逆転で勝利した。
それだけではない。スイスなどの強豪を倒して、優勝した。
「僕らには、ギリギリの試合で勝ち切れる力がついてきました」。チームの司令塔、両角友佑(もろずみゆうすけ)選手(32)は自信を深める。ただ、これまでの道程は決して平坦ではなかった。
そもそも30年前まで、軽井沢にカーリングはなかったのだ。
町で鉄工会社を営んでいる長岡秀秋さん(67)が、高校時代のスケート部の先輩に呼び出されたのは1987年のことだ。
後に長野県カーリング協会の初代理事長になる小林貞雄さん(故人)にカーリングのビデオを見せられたのだ。小林さんは弟宏さん(故人)=後の長野五輪カーリング競技委員長=から「面白い競技がある」と聞き、長野でも広めようと考えたのだった。宏さんは東京で運動具店を営んでいたので、カーリングの本場・カナダの事情に明るかった。