瀬戸内海の島々が見渡せる香川県豊島(てしま)の南斜面は、冬でも縁側のように穏やかで暖かい。
その一角に「豊島みかん」という看板が立てられていた。島で最も大きなミカン農家、山本彰治さん(84)の畑である。
「せっかくだから」と少しいただいた。皮は柔らかくて、するりとむける。爽やかな香り。口に含むと、さっぱりとしていて、しかし甘い。つい2つ目に手が延びそうになる。
「この味にたどり着くまでには、60年以上かかりました」
秘密は、有機堆肥の力で畑じゅうに張り巡らせた根だ。根は土からふんだんに養分を吸い上げ、葉の枚数を増やす。そこにふりそそぐ太陽が、果実をあかあかと太らせる。
「山本さんのミカン」と言うと、島では誰もが唾を飲み込むほどだ。
ところが、「豊島みかん」と名乗れない時期が20年以上あった。
産業廃棄物の不法投棄事件で、深刻な風評被害に遭ったのだ。
1990年11月16日、豊島の西北端の海岸で産廃を大量に不法投棄し、野焼きをしていた業者が兵庫県警に摘発された。当時は戦後最大の産廃不法投棄事件と言われた。
摘発を受けて山本さんに、兵庫県に住む妹から電話が入った。
「すぐにミカンの名前を変えてほしい」。切羽詰まった声だった。妹は果物問屋を営んでおり、ミカンの出荷先でもあった。
外周約20キロメートルの豊島では、山本さんのミカン畑と不法投棄現場は最も離れた場所にある。
「ミカンに影響はないのに」と首を傾げたが、妹は「まるで島が産廃で埋まったかのように報道されている。小売り店が『豊島産では食べ物は売れない』と言っていて」と説明した。
あと数日したら、この年の出荷が始まるという時だった。倉庫には「豊島みかん」と印刷した段ボール箱が5000個も入っていた。
山本さんは悩んだ結果、「小豆島みかんに変えるしかない」と決断した。豊島は、小豆島の土庄(とのしょう)町に属しており、「小豆島みかん」と称しても間違いではなかった。
急いで段ボール箱を注文すると、業者は徹夜で印刷してくれた。出荷には間に合ったが、「豊島みかん」の箱は畑に敷いて捨てた――。
豊島は瀬戸内海の真ん中にある。岡山県・宇野港、小豆島・土庄港、香川県・高松港に船が出ていて、それぞれ20〜35分で行ける。
島の最高峰は標高約340メートルの檀山(だんやま)だ。雨をため込む地質なので、島の水は涸れることがない。古くから島外に出せるほどコメを作ってきた。ミカン、レモン、カキ、ブドウ、イチゴとあらゆる果樹が栽培できる。乳牛や肉牛も飼ってきた。文字通り「豊かな島」だった。
豊かであるがために、乳児院や特別養護老人ホーム、知的障害者更生施設が建てられ、「福祉の島」とも呼ばれてきた。
だが、戦後の高度成長期以降は時代の荒波を受けた。
島の沖合には海砂がたまった「団子の瀬」があったが、大阪など都市部の開発のために根こそぎ採取された。「海が真っ黒になるほどイカが産卵していたのに、稚魚が育たなくなりました」と豊島自治連合会の三宅忠治会長(70)は悔しがる。
島の砂浜でも、ガラス材料として砂が採取された。そうした浜の1つが不法投棄の現場になった。