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連載地方は消滅しない

2018/02/20

アートを入り口にして島民という魅力を知る

 福武理事長が豊島で選んだ土地は荒れ放題の棚田に囲まれた山腹だ。山本さんは「もっといい所がある」と提案したが、福武理事長は「ここから見える豊島の集落と瀬戸内の島々がいいんだ」と聞かなかった。

 山本さんは、福武理事長に「豊島の本当の魅力を知らないだろう。世界から人が来るぞ」とも言われた。にわかには信じられなかったが、とにかく地権者に用地を提供してほしいと頼んで回った。

 美術館周辺の棚田は住民が協力して整備した。「竹藪を切り払い、開墾のようにして田に戻しました」と曽我三喜夫さん(68)は話す。

 10年、第1回の芸術祭が行われた。豊島には会期の105日間で、延べ17万人を超える人が訪れた。船の積み残し客が出るほどで、島が始まって以来の出来事だった。

 これを機に住民が自宅に観光客を泊める民泊を始めた。島内に点在するアート作品を巡るため、レンタサイクル店も相次いでオープンした。「豊島にそれまでなかった観光が始まったのです」と豊島観光協会の中島道恵(みちえ)事務局長(36)が解説する。

 芸術祭では終了後も残す作品があるので、回を重ねるごとに島内のアートが増える。豊島には現在、約15作品があり、これらを巡る若者が年中訪れる。海外からの観光客も少なくない。「夏季には島に200〜300台あるレンタサイクルが開店直後に全て貸し出され、船も満席になるほどです」と中島さんは話す。

「ゴミの島」と言われたのが嘘のようだ。

 これを受けて山本さんは5年ほど前、インターネットで直売するミカンの名を「豊島みかん」に戻した。問屋に出す分も戻したいが、「お客さんがついているのでそのままにしてほしい」と言われ、こちらは「小豆島みかん」で出荷している。

 ところで、豊島の観光客は、なぜか若い女性が多い。「しかもリピーターがすごく多いのです」と中島さんが話す。最初はアート作品を目当てに訪れるのだが、島のとりこになってしまうようなのだ。

「自然が豊かで、島民は人間味にあふれています。アート作品はもう見てしまい、やることがなくてぶらぶら歩いていたら、おじいちゃんとおばあちゃんが『どこから来たの』と話しかけてきて、持ちきれないほどミカンをくれました」と話す20代の女性は、何度も島に通った挙げ句、東京から移住してしまった。

 同じように豊島に通い詰めて移住する若者は多い。「50人を超えました。移住者同士で結婚した夫婦も3組います」と自治連合会長の三宅さんは目を細める。800人の島民に対しては、かなりの割合だ。

「草木染めをしている夫妻、自然の飼料でウコッケイを育てている家族、養蜂をしている女性、夫はまだ関東で仕事をしているものの、先に来て食堂を始めた奥さんもいます。住民とつきあうのが来島の目的の1つなので、地域の活動には喜んで参加してくれます。近所付き合いが希薄だと言われる他地区の移住者とは違うのです。自治会の会計を引き受けてくれた女性もいるんですよ」と三宅さんは微笑む。

 4年前、夫婦で東京から移住してきた門脇湖(ひろし)さん(48)は塩を作り始めた。「海水ならいくらとっても怒られない」と考えたのがきっかけだが、季節によって、また乾燥の方法によって、味や大きさが違ってできる塩に魅せられた。

豊島の海を凝縮した塩を作る門脇湖さん

「産廃の風評もあるだろうに」と心配する島民もいた。だが、門脇さんが海水を調査すると「環境省が定める基準の10分の1以下の値でした。特に水がきれいで、塩作りに適していたのは、なんと不法投棄現場の近くの海でした」と言う。

 県の創業支援助成金を受けて施設を造り、天日だけで製造を始めた。製品は「太陽と風がつくる豊島の海を丸ごととじ込めた塩」と名付け、東京や大阪にも出荷している。同じ移住者が生産する無農薬レモンを入れた商品も開発した。

「僕達が今、塩を作れるのは、島の人が戦って自然を守ったからです。そんな島の役に立てるよう、塩を通して豊島の美しさや魅力を発信できたらと思っています」と話す。

 豊島は「ゴミの島」のレッテルを張られた。だが、不法投棄現場以外では、自然も、人の心も、汚されなかった。

 アートをきっかけに訪れる観光客や移住者は、不法投棄事件を知らない人が多い。逆に言えば、レッテルに惑わされない人でもあるだろう。だからこそ、豊島が本来持っていた魅力に気づく。

 それをどういかしていくのか。再生はまだ始まったばかりだ。

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