「年に20人も植えてくれたらいい」と考えていたが、反響は大きかった。「家を買ったので庭に植えたい」「子供が生まれた記念にしたい」「庭のレモンで菓子を作るのが夢だった」などという人が相次ぎ、この11月までで販売したプレートは400枚を超える。
ただし、収穫できるまでには何年もかかる。独自開発した商品もまだわずかしか生産できない状態だ。
「緑道が50年で森になったように、泉北ニュータウンがレモン色に染まるまでには長い年月がかかるでしょう」と苅谷さんは微笑む。
石橋さんはレモンと共に、泉北ニュータウンが新しい時代に踏み出していくのだと考えている。
「人口が減ってもいい。高齢化が進んでもいい。最初にニュータウンに入居した第1世代が亡くなった後は、年代のバランスがとれていきます。むしろ普通の街になるのです。難波から電車で30分というベッドタウンの役割がようやく終わり、第2世代が自分達の手で街をつくる時代になりました」
「つむプロ」では、第2世代が次々と新しい取り組みを始めている。
泉北ニュータウンで子育て中のウェブデザイナーで、ラッパーでもある山里章悟さん(34)は「泉北ラップ」という曲を作り、街をPRしようと計画している。ニュータウン内の地名などを入れた歌詞やメロディは完成しており、これから協賛金を募ってビデオを作製し、出資者には額に応じて登場してもらう予定だ。
和泉市側から参加した吉田和美さん(45)は「香り」がテーマだ。泉北レモンなど泉北地区の産物からアロマオイルを精製していて、住民の癒しにつながるような事業ができないか模索している。
「泉北暮らし」が約15年になる一級建築士の西恭利さん(44)は、ニュータウン周辺の米や野菜を使ってカレーライスを作り、気が向いた時に公園などでゲリラ的に販売している。一見、売れるのだろうかと心配になるような取り組みだが、ファンがたくさんいて、すぐ売り切れる。
こうした第2世代はニュータウンと農村の垣根も越え始めた。
泉北ニュータウンは3地区に分かれている。泉北丘陵には谷筋に沿って古くからの農村集落があり、府が開発から外したため、まとまった土地にならなかったのだ。双方は長い間、行き来がなかった。
だが、「つむプロ」の魅力発見事業に参加した第2世代は、周辺部の農村集落で美味しい米や野菜が生産されていると知った。直接購入して使っているのは西さんだけではない。遊休農地を借りてニュータウンから耕作に出かける人もいる。「泉北レモン」のプロジェクトでも3カ所の畑を借りて約70本を植えた。
周辺の農村集落の1つである畑(はた)地区では「つむプロ」のメンバーの発案で15年から、地元農産物を販売する催しを行っている。仮設店舗では畑とニュータウンの住民が一緒に売り子として立つ。
「ニュータウン発祥の地の英国では『都市と田園の結婚』が理念で、都市の利便性と田園のコミュニティの豊かさを併せ持った街が造られました。そうして100年以上前に建設されたニュータウンが今も元気です。ところが人口爆発期の日本では、とにかく家が必要だったので、周辺の農村と関係なくニュータウンがポツンとできました。しかし『泉北』では農村との結びつきが始まり、本当の意味でのニュータウンになろうとしています。これからの街なのです」と高松さんは力説する。
やがてレモンが特産品になる頃、泉北ニュータウンはどんな街に進化しているだろうか。
(写真=筆者)