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最初は終点ではなかった「三崎口」

 いまさらそんなお願いをしてもどうしようもないのだが、実は最初の計画では三崎口駅は終点ではなかった。久里浜線は1942年に京急久里浜駅まで開業したのがはじまり。戦後になってさらに三浦半島の先っちょまで線路を延ばすことになり、1966年に三浦海岸駅までが開業した。

 
 

 このとき、京急では三浦海岸のビーチや半島先端の城ヶ島、油壺などのレジャーを大々的にPR。『京浜急行百年史』には、「創立以来最大の開通キャンペーン」などと書いてある。沿線に観光地の少ない京急にとって、三浦半島の観光客輸送につながる久里浜線開業は特別な意味を持っていたのだろう。

 
 

 で、1975年には三崎口駅まで開業して久里浜線が完成したのだが、当初の計画では油壺まで線路を通す予定だった。

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 しかし、自然豊かな三浦半島を貫く工事に反対の声が上がったことや、オイルショック以降の景気低迷などの影響を受けて頓挫。それでもせめて三崎や油壺への玄関口になるようにと、国道134号にぶつかる地点に三崎口駅を設けて終点にしたのである。

 その頃の三崎口駅周辺は、はっきり言えば“何もない場所”であった。マグロなど思いもよらず、住宅地の類いもほとんどなかった。せいぜい、台地上の平地に農地が広がっているくらいなもので、三崎口駅単体ではほとんど利用するお客のあてはなかったといっていい。地図を見てもいかにも中途半端な位置にある終点・三崎口駅はこういった経緯で誕生したのだ。

 
 

 だから、京急さんも最初はもっと線路を引っ張るつもりだったが断念して三崎口駅止まり。文句をつけるのは傷跡に塩を塗るようなものなので、三崎や油壺に行きたい人は黙ってバスに乗りましょう。