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京急線“ナゾの終着駅”「三崎口」には何がある?

2022/05/09

バスには乗らずに三崎口駅の周りを歩いてみると…

 さて、今回はマグロが目当てではないので、バスには乗らずに三崎口駅の周りをうろうろすることにしよう。

 オープントップバスがお客を待っているロータリーの先は件のごとく国道134号。鎌倉や逗子、葉山から三浦半島の先端まで伸びる大動脈で、トラックを含めてクルマがひっきりなしに走っている。

 
 
 
 

 横断歩道を渡って駅の反対側に出ると……いや、別にこれといって何があるわけでもないんです。三崎口駅のまわりは、国道が通っているだけであとはほとんど畑ばかりなのである。そりゃあ、三浦半島南端の三浦市の市街地は三崎にあるので、仕方がないのですが。

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 といっても、少し国道を三崎方面に歩いてみると、駅前ロータリーの三崎方面の出口には小さな飲食店がいくつか並んでいて、日本全国どこにでもあるインド料理店もなぜかある。

 そこからしばらく国道を歩くと、5分ほどで三戸入口という交差点。その角あたりにはみんな大好きすき家があって、どうしても空腹に困ったら牛丼を食べれば大丈夫だ。

 
 

 さらにこの交差点から東に入ると住宅地が広がる。京急さんが自ら開発した広大なニュータウン。線路に沿うようにして、一戸建て住宅が延々と並ぶ新興住宅地だ。さすがにいっさい開発をしなければいくら線路を通したところでお客が望めるわけもないので、京急さんは自分たちの手でここで暮らす人たちを増やそうと努めたのだろう。

 

 ……とはいえ、あとは改めて特筆すべきものもない。ニュータウンの住民でもない限り、三崎か油壺か、少なくとも三浦半島の南端を目指すほかに、三崎口駅でやるべきことはまったくないのである。

 

 なぜ「三崎口」周辺は“ほとんど畑ばかり”なのか?

 駅前の国道134号は三崎街道ともいい、古くから鎌倉と三崎をつなぐ街道であった。半島南端に浮かぶ城ヶ島を含めて景勝地として有名で、大泉洋……というか源頼朝もたびたび足を運んだとか。

 ここまで書けばご想像の向きも多かろうが、三浦半島は平安時代の終わり頃から三浦氏が治めた地。その三浦氏は、大河ドラマでいうところの山本耕史演じる三浦義村が有名だ。

 

 結局、三浦氏は北条氏に滅ぼされてしまうことになるのだが、残った三浦氏の傍流は戦国時代まで三浦半島南端に勢力を残す。その三浦氏も後北条氏に滅ぼされ、江戸時代には三崎口とは反対側(東京湾側)の浦賀が江戸湾の守りの拠点となった。

 幕末に黒船に乗ってペリーがやってきたのも浦賀であり、三浦半島は江戸の守りの要衝の地。近代以降も横須賀に海軍施設が集約されたのもこういった地理的条件によるものだ。

 

 といっても、相模湾側の三崎口駅周辺は取り立ててそういった機能を持つこともなく、ほとんど一貫して畑作の地であり続けた。三崎口駅が開業したことで、ようやく開発が進むきっかけを得たというわけだ。