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「信じる」という言葉がなぜか心に残り…

 この「信じる」という言葉がなぜか心に残り、調べてみると、平成の時代、天皇が「お言葉」の中で「何かが実現すること」を「信じる」と語った記録があまりないことが分かった。「信じる」と言い切ることは、一種の「宣言」のようなものであり、日本の天皇にとって、そのようなこと自体がまれなのではないかと思われた。

 現在の上皇さまが在位中に語ったすべての言葉を調べたわけではないが、国民が災いに直面した際の天皇メッセージとしてコロナと直接比較可能なのは、2011(平成23)年の東日本大震災だと思う。

 この時も同じ「ビデオ」という手法が使われた。震災発生5日後のビデオメッセージの中で、上皇さまは意外なことに「信じる」という言葉を一度も使っていない。少し煩雑になるが、詳細に振り返ってみよう。

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2016年8月、「おことば」で退位の意向をにじませた天皇陛下(当時、宮内庁提供)

 上皇さまはまず、被災地の悲惨な状況に対して「深く心を痛めています」と語った。「多くの人の無事が確認されること」については「願っています」。原発事故に関して「事態の更なる悪化が回避されること」を「切に願っています」。被災者の状況改善と復興への希望を「心から願わずにはいられません」と語り、国民が「この不幸な時期を乗り越えること」を「衷心より願っています」と続けた。そして最後に、被災者が日々を生き抜き、国民が復興の道のりを見守り続けることを「心より願っています」と結んでいる。

 使っているのは基本的にすべてが「願う」という動詞であって、「事態の好転」を「信じる」とは決して言っていない。

「願う」という言葉を国語辞典で調べると、「希望が実現するよう請い求める」などと書いてある。つまり天皇は「事態の好転」への自らの「希望」を表明しているだけであって、それ以上のことは言っていない。