「希望」という表現で連想するのは、かつての昭和天皇の言葉遣いだ。昭和天皇は、今から思うと信じられないような、ぶっきらぼうとも思える「希望する」という言葉を多用していた。
1959(昭和34)年の「伊勢湾台風」の際には、皇太子として現地を見舞った上皇さまに、こんな言葉を託した。「被災者は色々苦しいことと思うが、困難にうちかって一日も早く立直るように。また、官民一体となって復旧に努力するよう希望する」
東日本大震災での上皇さまのメッセージにそのような「ぶっきらぼう」な印象は皆無だが、「困難に打ち勝ち、復興することへの希望を表明し、その実現を求める」という点では、昭和天皇と同根のものがあるようにも思える。
「信じる」の主語は誰?
震災とコロナという「災いの種類」の違いはもちろん無視できない。状況が日々明らかになっていった震災の被害を考えれば、この段階でそう簡単に「乗り越えることを信じる」とは言えないという事情もあっただろう。
だが、そのことを差し引いても、私は現在の天皇陛下が口にした「信じる」に、言葉としての新味を感じる。使われる度に「信じる」の語調が次第に強くなっていく印象があるからだ。最初に陛下が語ったメッセージを厳密に読むと、実は「信じる」の主語が天皇自身なのかどうか判然としない構成になっている。もう一度メッセージを読んでみよう。
「今、この難局にあって、人々が将来への確固たる希望を胸に、安心して暮らせる日が必ずや遠くない将来に来ることを信じ、皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています」
「信じる」の前に「私」の言葉はなく、代わりに「人々」がある。従って「私が信じる」ではなく、「人々が信じて進むことを私が願っている」と解釈することもできなくはない。だが、普通に読めば、「信じる」の主語は天皇自身だろう。
大木 賢一
1967年、東京都生まれ。1990年、早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。共同通信社入社。鳥取支局、秋田支局などに勤務し、大阪府警と警視庁で捜査1課担当。2006年から2008年まで社会部宮内庁担当。大阪支社、東京支社、仙台支社を経て2016年11月から本社社会部編集委員。著書に『皇室番 黒革の手帖』(2018年、宝島社新書)、共著に『昭和天皇 最後の侍従日記』(2019年、文春新書)、『令和の胎動 天皇代替わり報道の記録』(2020年、共同通信社)。
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