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 最初の精神科入院から7カ月たった12月になって、ある女性弁護士に妻の代理人を依頼した。DVや性被害の問題を多く扱ってきた人だ。このころ4回目の精神科入院中だった妻と面談をするため、弁護士は病棟を訪れてくれた。そして加害者の居場所を突き止め、交渉を始めた。

 しかし、最終的には民事、刑事とも法的手段を断念した。

性的被害をめぐって、「泣き寝入り」を余儀なくされる実態

 当初「自分の責任」と認めていた加害者は、弁護士に対し一転、「合意」を主張。それを崩すには、妻本人が当時の状況を詳細に語ることが欠かせないが、それができる状態とはとても思えなかった。医師も「症状を悪化させるおそれが強い」との見立てだった。法的救済よりも、健康の回復を優先せざるをえなかった。

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 性的被害をめぐって、「泣き寝入り」を余儀なくされる例は妻だけではない。内閣府の調査(2020年度)によると、「無理やりに性交等をされた」女性の58・4%が誰にも相談していない。知り合いによる被害が多いことが壁になるうえ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や解離性障害といった精神疾患に追い込まれることも多い。妻と同様、精神的ダメージが深刻で相談どころでない人もかなりいるだろう。

 幼少期の虐待に加わった、性被害という新たなトラウマ(心的外傷)。摂食障害だけでなく自殺願望、幻覚、幻聴、極端な感情の浮き沈みなど、彼女はより複雑な症状を抱えることになった。

 精神疾患には多かれ少なかれ好不調の波があり、急変も起こる。仕事と妻のサポートを両立するうえで、見極めが難しい。

 2007年8月、取材先から本社に戻る途中、携帯が鳴った。表示を見ると妻だ。

「あなた、さようなら」。何のことか尋ねると、「死のうと思って、睡眠薬をたくさん飲んじゃった」。

 頭が真っ白になった。119番通報して、タクシーで自宅に直行。救急隊を家に入れ、救急車に同乗した。総合病院の一室で一晩、口からチューブを挿入した妻のそばで過ごした。医師の説明では、早めに処置できたおかげで後遺症は残らずにすみそうということだった。

 翌朝、意識の戻った妻は「このたびは多大なご迷惑をおかけいたしまして」と神妙な口調で頭を下げてみせた。不祥事を起こした企業や官庁がやる謝罪会見の真似らしい。思わず噴き出した。

 この日は東京で取材の予定があった。行くべきかどうか。迷ったが、彼女から「二度としない。出張に行ってほしい」と強く言われ、新幹線に乗った。

 大量服薬による自殺未遂はこの夏、これが3回目だった。

 1、2回目は処方薬数日分をいっぺんに飲んだ。再発防止のため、私は旅行用のトランクに薬を入れて管理するようにした。ところが、3回目のこの時は市販の睡眠導入剤をドラッグストアで購入し、数十日分を一気に飲み込んでいた。

 安全のためにいったん精神科病院に入院させたかったが、本人の拒否感が強く、納得して入院してもらうまで約3週間かかった。

妻はサバイバー

永田 豊隆

朝日新聞出版

2022年4月20日 発売