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2022/05/11

「ダチョウ倶楽部」誕生 ビートたけしとの思い出

〈その頃、エコーの先輩だった渡辺正行に相談し、南部虎弾(とらた)と肥後克広を紹介される。そして85年、ダチョウ倶楽部が誕生する。〉

ダチョウ倶楽部と片岡鶴太郎さん 事務所提供

 20人ほどいたのがどんどん減って、俺、南部さん、寺門、リーダー(肥後)が残ったんです。その4人で六本木のショーパブ「バナナパワー」にネタを見せたら出演が決まって、ダチョウ倶楽部を結成しました。でも俺はネタの作り方もツッコミの仕方もわからなくて、稽古中に酒を飲んでましたよ。そこをリーダーが「竜ちゃん、上手くなってきた」と褒めながらお笑いのイロハをじっくり教えてくれた。おかげで段々とお笑いの楽しさに目覚めましたね。

 太田プロに入って1年ほどかな。87年にリーダーだった南部さんが抜けました。夜中に電話を掛けてきて「ビー玉飲めるか?」とか訊いてきたりして、笑いの方向性が違うなとは感じていました。南部さんはその路線を追求しようと90年に電撃ネットワークを組んで成功したし、結果的に良かったと思いますよ。

 それで一番背が高いのを理由に肥後をリーダーにして3人になったけど、途端に仕事は減るし、トークやバラエティに出てもネタ中心でやってきたから勝手がわからない。丸ノ内線に乗っている時にちょうど30歳の誕生日を迎えて、「俺たち、ずっとこんな感じなのかな」としょげました。

〈そうした状況を一変させた番組が、89年から96年に放送された『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』だった。乗っているバスごと水中に沈められたり、爆弾リュックを爆破されたりと危険な企画に挑み、リアクション芸を確立させる。〉

 最初の頃は何もできず、これじゃ駄目だと思っていたら、たけしさんが井手らっきょさんに「裸になれ」と指示するのを聞いて、「それだ!」と先に裸になって爆笑を取ったら吹っ切れました。たけしさんも褒めてくれて、なにかとダチョウ倶楽部を引っ張り出してくれるようになったんです。

 リアクション芸は騒ぐだけではなく、その前にフリの人がいて成立するんです。『お笑いウルトラクイズ』の企画で飛ぶと同時に服が脱げるオチの「逆バンジー・ジャンプ」というのがあるんだけど、あれは最初の人が小さく飛んで、次の人が普通に飛んで、最後に俺が飛んで全裸になるから面白い。要はコントなんですよ。それをたけしさんと軍団さんから教えてもらいました。

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