これまで100頭以上の熊を目撃し、450キロを超える大熊を退治したこともある開拓者・西村武重。しかし、そんな熊狩り名人の彼でも熊から逃げ出したことがある。それはいったいどんな状況だったのか? 著書『北海の狩猟者』の一部を抜粋。(全2回の2回目/前編を読む)
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1頭の羆を追跡していた
北見と根室の国境に聳立する斜里岳(1547メートル)と、サマッケヌプリの山のなかで1頭の羆を追跡したことがある。
3歳ぐらいのからだの軽いやつで、敏感でなかなか接近できず、猟友3人はいろいろ作戦を練って追いかけまわしたが、なかなか思うツボに入らず、ここ一発という機会がない。われわれは3日間も辛棒づよく追跡したのだが、1、2回、遠くから姿を見せたきり、作戦は失敗ばかりで、裏をかかれたかたちとなり、どうしても好機が摑めない。
だが姿をたびたび見せるようになると、猟人も張りあいがあり、元気も出てくる。この次は、この次は……と張りきって追っていけるので、速度も早くなる。
ここ一番と思う時は、日が暮れても追いかけて、10キロも20キロも山奥深く踏みこんでしまい、家に帰れずに露営するのである。
われわれの露営は、なるべく負担にならないように寝具などは携行しない。行きあたりばったりに、燃料となる枯木のあるところへビバークするのである。
まず風のあたらないような場所をよく選んで、枯木を集めてどんどん燃やす。冬の雪中では山火事の心配はないので、度胸よく炎をあげて焚火ができる。
その焚火の場所は次第に雪が融けて穴になり、遂に地面に達して、直径2メートル、深さも同じくらいの大きな雪洞となる。
その穴の周囲にトドマツ、エゾマツの枝を二重、三重にたてめぐらして、立派な丸小舎が出来あがるというわけだ。少しぐらい風が吹いても、文字通りどこ吹く風という具合で、少しも感じない。雪が降ってもヘッチャラだ。そのなかへ、同じくトドマツ、エゾマツの小枝を敷きつめると、フワフワした青畳にいるような気分がする。
なかで小さな焚火をして暖をとり、炊事もできる。食料さえ持ってくれば、何日いても極楽へきたようなもので、家庭とは違った別な興味が湧く。トドマツやエゾマツの青葉の独特の匂いを嗅ぎながら、おとぎの国の別荘のような気分もでてくる。
家のことなどは忘れてしまい、焼酎の肴にウサギ肉の焼きたてをむさぼりながら狩猟談に花を咲かせ、またぐらをあぶりながら大法螺を吹きあい、大気炎をあげて「羆はきっと明日は射つぞ」「獲ってみせるぞ」と、獲らぬ狸の皮算用に余念がなく、猟天狗ぶりを発揮するのである。
ところが、ひとたび家に帰ると、家族の者に大目玉を喰ってしまう。山へいって3日も4日も帰ってこない。道に迷ってどこかへいってしまったのではなかろうか。羆に喰い殺されたのではないだろうか。あるいは、凍死したのでは……などと、夜も眠れないくらい心配していたのだ。
家人と猟人の、この気持の違いは、実に雲泥の差である。猟人は雪洞で、家人のそんな心配など夢にも知らず、実にノンキなものである。