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2022/05/13

source : ノンフィクション出版

genre : ニュース, 社会, 教育, 歴史

 僕は、川口のお母さんやお姉さんたちにひたすら頭を下げた。前日の出来事を正直に話し、「川口と一緒にいながら、彼を救うことができませんでした。申し訳ありませんでした」と謝った。お母さんが「あなたがそんなことを思わなくてもいいのよ。やむを得なかったことなのよ」と慰めてくれたことを、今も覚えている。

リンチ殺人を他人事のように語った早大総長

 翌10日に通夜があった。夜遅くになって、早稲田大学の村井資長総長と渡辺真一学生部長が来た。2Jのクラス担任の長谷川良一先生も同行していた。村井総長は、ありきたりなお悔やみの言葉を述べた後、「文学部だから、こんなことが起こった。文学部はひどい状態だった」と話し始めた。これを聞いて、僕は頭に血が上った。まるで評論家のような、他人事の口ぶりに対して。

「そんなこと、言っちゃいけないでしょ。あなた、大学の責任者だろ。大学の責任者として、学生の命を守れなかったんだ。無責任なことを言っちゃいけない」

 僕は強い口調で言った。

 村井総長は黙ったままだった。彼らが足早に引き揚げた後、川口のお姉さんのご主人から「二葉君、仮にも大学の先生に向かって、あんなひどい言い方をしてはいけない」とお叱りの言葉を受けた。けれども、僕にしてみれば、村井総長の言葉は絶対に許せなかった。周りに人がいなかったら、ひっぱたいていたかもしれない。

「川口を死なせてしまった」という気持ちに苛まれ続けて

 11月11日、お姉さんの家で川口の葬儀があった。僕のクラスからも10人近くが出席した。葬儀が終わると、お母さんが挨拶をされた。涙ぐみながら、感極まったように「大三郎の周りにいた人に、なんとか息子を救出してもらえなかったのか、悔やまれます」とおっしゃった。胸の奥に溜まっていた思いを述べられたのだ。その言葉を聞き、僕は号泣した。葬儀が終わった後も、僕は泣き続けた。級友たちが「お前のせいじゃない」と言葉をかけてくれる度に、またしゃくり上げて泣いた。川口と、ご家族に申し訳ない、僕が川口を死なせてしまったという気持ちに苛まれ続けた。

 11月17日には川口の学生葬が大学の本部キャンパスの前の大隈講堂であったけれど、僕は出席せず、広島の実家に帰った。その直前にクラスの討論の場に一度だけ顔を出し、「田舎へ帰る」とみんなに告げた。それから2週間ほど、東京には戻らなかった。川口が殺されるんだったら、僕だって殺されてもおかしくない。僕も、中核派の人間を知っていたし、会ってもいた。クラスには、川口と僕を中核派の集会に誘った別の級友もいる。この級友は、僕や川口よりも、はるかに中核派に近い。彼が襲われる可能性だってある。もう東京の下宿にはいられない。そんな気持ちになっていた。

 以上が、二葉さんが語った川口君の拉致から葬儀に至るまでの記憶である。

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