私が同居をしたワトリキ(人口およそ200人)には「Wi-Fiはまだない」という話だった。しかし、それも時間の問題のような気がする。Wi-Fiに限らず、政府機関の人間が常駐し、医療団も定期的に入り、支援をするNGOの人間が頻繁に出入りする集落(言い方を変えれば“管理下”にある集落)では、次々に「文明のモノ」が流入し、時に常態化する。医療機器、PC、様々な薬品、マッチ、ブラジル的食事、流行歌、ポルトガル語、今どきのファッション、握手やハグなどの習慣。文明の側は様々なモノを集落に持ち込んでくる。
「不要なモノ」と「なくてはならないモノ」
人間誰しも好奇心がある。純朴素朴であればあるほど、珍しいモノを見れば触れてみたくなり、欲しくもなり、真似したくなり、使い方を知りたくなる。例えば、私が同居したワトリキに人類学者がやってきたことがあった。彼はDVDプレーヤーを持ってきていて、夜な夜な映画やドキュメンタリーを見ていた。何人かのヤノマミが興味を持った。皆、若い男だった。近づいてきて機械をいじり始めた。学者が操作方法を教えるとすぐに覚えた。DVDプレーヤーの回りにいつも大勢のヤノマミがいた。
幸か不幸か、「流行」は長くは続かなかった。
文明のモノが常態化するには一定のルールがあるようだった。おそらく、基準は単純明快だ。そのモノが、森を生きるために必要かどうか、である。DVDプレーヤーが娯楽や暇潰し以上のモノ、森の暮らしに必要なモノであれば、彼らは使い続けたに違いない。ナイフやサンダルやパンツやマッチや銃(ワトリキに銃はなかったが、誰かが持ち込むか与えればすぐに定着するはずだ)ではなかったのだ。
ならば、事件が起きた集落にとってWi-Fiとはどのようなモノだったのか。DVDプレーヤーのように「不要なモノ」だったのか、ナイフやマッチや銃と同様に「なくてはならないモノ」となったのか。
残念ながら、情報はほとんどなく本当のところは分からない。だから、類推するしかない。
弓矢を持参することの本気度
私はこう考える。
彼らは大切なモノを奪われたとき、命を賭して抗議をする。私が集落の誰かを殺めたり、女に手を出したり、全員のナイフを盗んだとしたなら、おそらく弓矢を持った男たちに囲まれ、非難され、最終的には殺されただろう。とすれば、ヤノマミが一方的かつ衝動的に殺されたのではなく、両者の間で激しい争いがあった末の殺人だったとすれば、その集落のヤノマミにとって、Wi-Fiとは命を賭けても守るべき「なくてはならないモノ」だったと考えられる。
抗議に行ったとき彼らが弓矢を持っていたのかどうかで、さらなる類推が可能だ。