「僕のなかでの彼は、芸人としての上島竜兵でなく、映画好きな役者を目指した『上島龍平』なんです。もう一度、会いたかった……」
5月11日に急死した「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さん(61)を悼み、交流のあった芸能人らが連日追悼コメントを寄せている。
芸人として体を張り、これまで全国に笑いを届けてきた上島さん。しかし少年時代の友人たちは「真面目でおとなしいタイプだった」と口を揃える。その印象は、上島さんの著著やインタビューにたびたび“親友”として登場してきた後谷智明氏(62)に聞いても、変わらなかった。
後谷さんは上島さんの母校、神戸村野工業高等学校の同級生だった。卒業後に東京の美術学校に入学した後谷さんは、俳優を目指していた上島さんと目黒川沿いのアパートで共同生活をしたこともあった。親友の突然の訃報に肩を落としながら、その胸中を語った。
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「上島と出会ったのは高校1年の頃。工業高校だけど僕らは普通科に通っていて、3年間ずっと同じクラスでした。第一印象は本当におとなしい感じで、ヤンチャな生徒が多いなか服装も乱さず、きっちりとして目立たないようにしていました。あえて人と関わらないようにしていたところもあったと思います」
上島さんは「週刊文春」(2018年3月8日号)で、同級生らと距離を置いて付き合っていたことを、ユーモアを交えてこう述懐している。
《当時は不良っぽい生徒の多い学校でね。ドラマ『西遊記』で西田敏行さんが人気の頃で、似ているってよく言われたんですよ。そこはおどけてものまねすべきだろうけど絶対にしなかった。「将来、俺は役者になって有名になる。だから仲の良かった友達が怖い人になって、週刊誌に交友関係なんて書かれたら大変だ」と本気で思っていたから》
そんななか、意気投合したのが後谷さんだったのだ。
田んぼ道で「俳優になる」夢を熱く語った
「元々席が前後だったのと、お互い映画好きのところから始まって話が合い、僕には心を許してくれました。なので上島とは、映画の話をすることが多かったですね。映画を観ては『自分が監督ならばこういう結末にした』なんて話したり、『スクリーン』や『ロードショー』なんかの映画誌を読んでいたから、掲載されている映画の話をしたり。あの頃、上島は洋画が好きで、ダスティン・ホフマンが大好きで『卒業』や『パピヨン』の話をよくしていましたよ。邦画だと西田敏行さんに憧れていました。男子ばかりの高校ですから彼女とかもいませんし、好きな女の子も洋画にでてくる女優さんだったと思います。それくらい、映画にどっぷりとはまっていました。
他のクラスメイトの前では寡黙だった上島さんだが、放課後、後谷さんと2人になるとジョークを言い合い、西田敏行さんのモノマネを披露することもあった。将来の夢も語りあった。
「休みの日はお互いの家を行き来していたのですが、高校2年か3年のとき、2人で彼の家に向かう途中の緑豊かな田んぼ道で、『役者になる』と夢を話してくれたのを今でも覚えています。話していくうちに熱くなって『何がなんでもなる』って意思が固くなり、燃えあがっていました。
これは、時代も時代ですし笑い話として聞いてほしいのですが、『役者たるものタバコを吸ってお酒を飲めなきゃいけない』といってよく酒を飲む練習もしていましたよ。強いわけでも好きなわけでもないのに、役者のまねごとをしたくて日本酒を頑張って飲んでね。タバコも格好つけて吹かそうとして、すぐゴホゴホしていました。
ただ、彼もインタビューで話していましたが、クラスメイトでは僕にしか夢について話さなかったようです。他の人に馬鹿にされるのが嫌だったのでしょう。目立つタイプではなかったので、役者という夢が自分の柄じゃないと思っていたのかもしれません」