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【追悼】「肥後さんは本当のお笑い好きで全部考えているんだ」上島竜兵さんが親友に明かした“ダチョウ倶楽部への愛”

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 高校を卒業した上島さんは、両親の勧めで地元の経理専門学校に入学。しかし夢を諦められず、資金をためて上京した。後谷さんが住む中目黒のアパートに居候をしながら「青年座」の研究所に合格し、研究生として役者を目指していたという。

いつ夢破れるか…ピリピリしていた“あの頃”

「僕は当事美術の専門学生で、住んでいたのは風呂なし共同トイレ、裸電球の古いアパートでした。上島は研究所にはいったことで吹っ切れたのか、がむしゃらさを隠さなくなりました。役者を目指す仲間にあって感化されたんでしょう。地元の時の大人しい上島から、大きく変わりました。

 スーパーのレジ打ちバイトをしながら養成所に通い、夜にはよく酒を飲んで酔っ払って帰ってきました。自分のふがいなさとか、思うように前に出られない苛立ちを大声で語っていましたね。いつ夢破れてしまうか分からなので、ピリピリしていたのでしょう。しばらくしてから下の階に引っ越し、役者になろうと本当に真剣でした」

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 上島さんと後谷さんは、東京で夢の実現を目指す盟友だった。繊細な上島さんにとっては、数少ない胸襟を開ける相手でもあっただろう。しかし、そんな2人が「一度だけ本気の喧嘩をした」ことがあったという。

「理由は本当にくだらなくて。上島は食が細いのですが、一食でもタダで食べられたら喜ぶだろうと思って、メシを大量に作ったんです。お米と、野菜と肉を炒めて、ちょっと高い瓶に入ったソースで味付けしたおかずです。寝起きの上島に『さあ、食べろ』と言ったら、あまりにも多いもんだから『多すぎる。お前みたいにこんなに食わんわ』と怒り出しましてね。『お前金ないんだから、食える時に食わんと。親心やぞ』『そんなん無理やりで親心やないわ』と言い合いになりました(笑)。夕方には自然と仲直りしましたが、今思えばいい思い出です」

 研究生として奮闘した上島さんだが、1年半後、家庭の都合で研究所を辞め、実家に戻ることになった。苦渋の決断に涙を流した帰省前夜、後谷さんがケーキを買ってきた。このエピソードを、上島さんは何十年と忘れることなく、後年にインタビューで語ったこともあった。

上島竜兵さん ©文藝春秋 写真/宮崎慎之輔

「実は僕はあまり覚えていないんですよ。でも、嬉しいですね。あのとき一度実家に戻ることになって、悔しかったんだと思いますよ。ただ、決して諦めてはいなかったと思います。その後、彼は再び上京したのですが、今度は自分が神戸に帰り疎遠になってしまった。それからはほとんど連絡も取り合っていませんでした。

 上島をテレビで観たときは、驚きました。そこには僕の知っている夢の途中でもがいている『上島龍平』はいなくて、お笑い芸人として輝く『上島竜兵』でした。彼のそんな姿を見て、心からうれしかったです。でも、また役者の道へ行くんだろうなと思っていました」

 約30年前、上島さんは後谷さんの自宅を訪れた。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ‼」(日本テレビ系・1989年)などに出演するようになり、若手芸人として頭角をあらわし始めた頃だ。頭を刈り上げ、金のスーツ姿という“芸人”らしいいでたちだった。それは芸能人「上島竜兵」だった。