ダチョウ俱楽部・上島竜兵さんの突然の死が報じられて、腰を抜かすほど驚いて、1週間が経過しました。

 や、すごくつらいんですよ。

 何でですかね。

ADVERTISEMENT

 テレビの仕事で何度かかかわって、ごあいさつ程度に言葉を交わしたことはあるけれども、親しくお話をさせていただいたことはありません。

 なのに、何でしょうこの喪失感は。

 下手をすると、世話になった肉親が亡くなったときや、可愛がっていた愛猫が不慮の死を遂げたときと同じぐらい、気持ちが凹むんですよ。

上島竜兵さん ©文藝春秋

リアクション芸は本人にとって辛かったんじゃなかろうか

 先般、ダウンタウンの松本人志さんが上島さんの死について語った内容で批判を受けていましたが、当事者であり同業者であればなおのことつらいんじゃないかと思うんですよ。

 率直に、ダチョウ倶楽部の「俺がやるよ!」「いや俺が!」「どうぞどうぞどうぞ」の芸とか「訴えてやる!」など、買ってみて仕舞い込んでいた『リアクションの殿堂』を改めて物置から出してきて視聴してしまうぐらい、完成度が高く、愛していたんです。

 実際、それがいきなり「もう観られなくなった」という寂寥感があるんですよ。楽しそうに、イジって、イジられて、騒いで、馬鹿馬鹿しく笑って、こっちも一緒になって笑って、楽しめていた空間はもう戻ってこない。

 とはいえ、1週間も過ぎればこういう感触もなくなっていくもんだと思っていました。

 芸能人の死は一般人にとっては消費される情報にすぎず、意味を斟酌する間もなく通り過ぎていくもんだと。

 ところが、時間を追うごとに、気づくことがあるんです。

 あれは、芸能人・上島竜兵じゃなくて、一人の人間・上島竜兵にとっては辛かったんじゃなかろうかと。

 芸だから。仕事だから。

 割り切っても割り切りきれず、必死に何かに取り組んで、人を笑わせることで無理をしていたんじゃないのか。実はあれはふっと死んでしまおうかと思うほどつらいものだったとすれば、リアクション芸の大御所と言えど、本当の意味で身体を張って、精神を削って、全力でやり遂げてきたものだったのではなかったか。

 いくら好きなことを仕事にしていても、私だって、今日もあれをしなければならない、いまはこれだけの作業量が溜まっている、締め切りに追われていて、大事な人たちが私の仕事の遅れで困っている、何とかしなければならない、徹夜してでも仕上げるんだとなればつらい。

 好きなはずの仕事でも、追い立てられることで感じる辛さみたいなものはある。