お笑いを素直に笑えなくなってしまった
私自身はお笑いが好きで、お布施と思ってなるだけDVDは買うようにしてきたけれど、もしも上島さんが死ぬほどに、本当に死んでしまうほどに辛いことだったとするならば、それを見て、ひとり密やかに、あるいは家内や家族と一緒に、ゲヘゲヘ笑っていたのも虚構の産物だったのではないか。
大物コメディアンの突然の訃報という点では、志村けんさんが亡くなったときも堪えたけど、それとは比べ物にならないぐらい上島さんの死が受け止めきれないように感じるのは、コロナ感染による闘病によるものか、そうでないものかの差だったろうと思うんです。
いまでも子どもが好きな『加トちゃんケンちゃん』のDVDを出してきて観たりするのは、リアルタイムで時代をともにした私からすれば追悼の気持ちを持つのだけれど、実はあれは本人にとって苦しかったかもしれないという思いがよぎる『リアクションの殿堂』を観て心から笑えるのかどうか。むしろ「上島竜兵は凄かったなあ」って気持ちになるんです、その芸の完成度の高さから。身体を張る芸って凄いなあって。
でも、その死を挟んで、笑えなくなっている自分がいます。あんなに笑い転げていたのに。芸が大好きだったのに。お笑いを愛してきたのに。
やっぱり「あれっ、そうだったのか」という別の意味がチラついてしまうと、おそらくはそういう芸そのものを受け入れられるぐらいに受け手・視聴者として心の整理がつくまでに、しばらく時間がかかるのではないだろうか。涙が出るほど面白かった分、新たにつけられた文脈が重すぎて、たぶん余計な論考もたくさん出てくることでしょう。
例えば、「痛みをともなわない笑い」という世の中の流れが、ダウンタウンの必勝コンテンツだった大みそか恒例の『笑ってはいけない』シリーズの企画替えに繋がったり、いじめにつながるコンテンツは公益的に控えよう論だったり、騒がしいお笑いはどんどん奇麗な方向へと流れていきました。