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「あの頃はほんとに、無我夢中でした」

 現在、とある地方都市の医療施設で看護師として働いている美恵さんは、10年以上前、山谷で働いていた頃のことを思い出しながら語った。

「目の前の人のために、自分ができる最大限をやってのける。それが嬉しくて仕方ないんですよ。山谷にはそんな看護師や介護士が集まっているんです。たぶん、私もそのひとりだったはずです」

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 2002年、夫の山本雅基さんと手探りで始めた「きぼうのいえ」は、いつ破綻してもおかしくない経営状態にあった。そんなギリギリの台所事情をなんとか切り盛りしながら、美恵さんは私心を捨て去るようにして利用者に尽くし続けた。そんな彼女に、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』が密着し、「山谷の街で、命によりそう」と題して放映した(2010年12月13日)。

週刊誌には「不倫駆け落ち」とも書かれたが…

 美恵さんが「きぼうのいえ」を出て行ってしまうのは、その『プロフェッショナル』オンエアの翌日のことだった。しかも、業務の中で知り合った男性と2人で姿を消してしまうのだった。

 美恵さんの失踪の詳細は拙著『マイホーム山谷』に記した。当時は「不倫駆け落ち」と書き立てる週刊誌もあった。事実だけを切り取ればそうかもしれない。ただ、それだけではないと私は考えている。日常的に生と死に向き合い、心を削って接していることで、大切な別の何かまで削られてしまうこともある。看護師や介護士が「感情労働」と呼ばれるゆえんだろう。美恵さんを筆頭に、山谷に集うケアワーカーたちを取材する中で感じたことだ。

 将来的な人手不足を補うために、人材育成は急務だ。ただ高い志を持ちながら、挫折する者も少なくない。ケアワーカーたちの心のケアもより一層、考えていくべきなのだろう。

マイホーム山谷

末並 俊司

小学館

2022年4月26日 発売