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「胸元に目が行ってニュースが…」とクレーム、真冬に愛用の白いコートが消えて…元ローカル局アナ(39)に起こっていたこと

塩地美澄さんインタビュー#1

2022/06/04
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塩地 高校時代は、よく部屋に閉じこもって、勉強もせずテレビを見たりラジオを聴いたり、そんな無為な毎日を過ごしていました。

 入学式で、担任の先生に「君は東京大学に進んで、アナウンサーになったらいいよ」とおっしゃっていただいたんです。ご厚意だと今なら思うんですが、思春期の私は反発したくなってしまって……。結局、そのまま大学受験も志望校に失敗して。それが人生初の大きな挫折でした。

 大学では後悔したくなかったので、同級生は飲み会やサークル活動を楽しんでいたけど、私はアナウンサーになるための勉強に励んだんです。地元のアナウンス学校に通って、夏休みには、東京にあるテレビ朝日のアナウンススクール(テレビ朝日アスク)に行きました。

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――とはいっても、学生時代にハメを外したくなったことはありませんか?

塩地 1度だけ合コンに行ったんですけど、男性が目の前で「この子がいい」と言い出して。そんなあからさまな光景を見たことがなかったので、友達とすぐに帰りました。その時の衝撃がトラウマになったのかもしれません。

「福利厚生のいい一般企業も受けていました。“安定志向”だったんです(笑)」

――そもそもアナウンサーを志望した理由は?

塩地 きっかけは、小学生の時の授業で教科書を音読していると「アナウンサーに向いているんじゃない?」と褒められたことでした。そこからだんだんと、アナウンサーが「憧れ」になったんです。

 大学時代、アナウンサーを「目標」として行動するなかで、「正しく聞き取りやすい日本語で情報を伝えたい」と各テレビ局の入社試験を受けました。

――その結果、秋田朝日放送のアナウンサーになります。