元秋田朝日放送アナウンサーで、現在はグラビアタレントとしても活躍を続ける塩地美澄さん(39)。ローカル局の人気アナウンサーが地元を離れて直面したのは、「東京のグラビア」の世界だった。
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――秋田朝日放送からフリーになったきっかけは、父親の看病だったそうですが。
塩地 父親が「余命半年」と宣告された、と連絡を受けたんです。秋田に住んでからは「実家に帰るのは年に1回くらい」という距離感だったけど、父親の余命を聞いて、自分の人生について立ち止まって考えるようになって。
そこではたと、それまでの自分は仕事しか頭になかったことに気がついて、上司に「仕事に対してこれまでと同じような向き合い方ができない、辞めさせてください」と相談したんです。そこからちょっとずつ“たたんで”、2年半かけて退職しました。
――フリーになって東京で仕事するようになった理由を教えてください。
塩地 1年間は秋田で仕事をしていたんです。だけど、当時の社長に「エンタメの仕事をしたいなら東京に行ったほうがいい。年齢的にも最後のチャンスだから」と背中を押されて、上京を決めました。
といっても伝手がないので、芸能事務所を何社か受けていきました。
グラビア挑戦で“○○パイ”“○○乳”とスポーツ新聞に!「こういう出方は困る」と言われ…
――自分で一から動いたんですね。上京後はアナウンサーの仕事以上に、グラビアでの活躍が目立っているように感じます。
塩地 上京するにあたって、当時の所属事務所が何かひとつ打ち出したほうが良いだろうと、以前から何件かオファーをいただいていたグラビアに挑戦することになりました。当時、レギュラー出演させてもらっていた報道番組のプロデューサーには、最後まで反対されたのですが、上京のタイミングで撮影に踏み切らせてもらった形です。