――フリーなのに説得が必要なんですね。
塩地 報道番組ということもあって、最初は反対されたんですけど、「水着じゃないのでお許しください」と。ただ、話題にしてもらえたのはありがたいことなんですけど、スポーツ新聞には「〇〇パイ」とか「〇〇乳」といった見出しが躍ったので、秋田の方たちには心配されました。直接、「こういう出方は困る」と言われたこともあります。
アナウンサーのグラビアって今でこそ普通になりましたけど、当時は風当たりが強くて。でも逆風だからこそ、成功するまでグラビアを続けて「正解だった」と思わせるしかなかったんです。
――自分を売るためにもグラビアが必要だったんでしょうか。
塩地 それしかなかったので、チャンスは逃しちゃいけないと思ったんです。もともと胸にはコンプレックスを抱えていたし、変な見られ方はされたくない気持ちはあったんですけど、今はプロフェッショナルとして美しく見せることを意識するようになりました。プロフェッショナルになればまわりも認めてくれるという、その一心ですね。むしろ辞め時がわからない。もう39歳なのに(笑)。
グラビアで感じた地方局時代とのちがい
――グラビアの現場もプロフェッショナルな世界だと思います。
塩地 スタッフの方たちが自分の持ち場に徹しているなと思いました。いい意味で干渉し合わないというか。秋田朝日放送では、みんなで補い合っていました。私もカメラを回す時もあれば、編集する時もあって、それが当たり前だったんです。
グラビアの現場は役割の棲み分けが明白だからこそ、自分がモデルとして現場に立った時、撮られるのが恥ずかしいと言っていられない空気はありました。
――グラビアの現場で厳しいことを言われたことはありますか?